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■ 近頃のこと

2018/07/23

清しといねつ 弛みたれども

テレビなどで熱中症の話題に事欠かない昨今ですが、それと認識もないまま、16歳当時の私も熱中症に倒れたのです。
後輩の試合を監督代わりに行った炎天下から戻る際、激しい頭痛と吹き上げる嘔吐のために一駅で降りなければならなかった程で、次発の列車にともかく乗り込んでも、座席に横たわるしかありませんでした。
駅に着いてもバスを待つ気力もなく、タクシーで帰宅したのですが、家には床を舐めるまでに腰の曲がった祖母が一人でした。
祖母は、倒れ込んだ私をとにかく布団を敷いて寝させてくれたのですが、私はそのまま気を失ってしまったようです。
ふと、足の裏にぬるぬるした何かを塗られているのに気づいて、咄嗟に足を引っ込めて触れば、指先に固いキュウリの種が付いてきました。祖母が、種を採るために大きく育てたキュウリの種を掬って、私の足裏に塗ってくれていたのです。後で知るのですが、身体の熱を取るための民間療法だったようです。
明治24年生まれの祖母でしたが、5人の子供のうち、母と伯父以外の3人を亡くしているのです。就学前の女の子は8月の炎天下に遊んで、夕方戻るなりバタリと倒れ、そのまま明け方に息絶えたのだとか。亡骸は真っ黒だったのだそうです。
暑い中に倒れ込んで来た私に、訳もわからないままおろおろと畑にキュウリを探しに出たのが、我が子の不幸を思い返してのことでもあったとすれば、随分気の毒なことをしたと、今でも胸が痛むのです。
祖母は蚊帳を吊ってくれていました。それが、寝ている私の顔に届きそうな程弛んでいたのです。折れ曲がった腰で、懸命に吊ってくれたのでしょう。後年、長塚節が詠んだ『たらちねの母が吊りたる青蚊帳をすがしといねつ弛みたれども』という歌を知った時は、ハッとさせられたものでしたが、それから暑い夏になる度、祖母の吊ってくれた蚊帳を思い返すのです。
その翌年、テレビの間近で相撲を見ていた祖母はくも膜下出血で倒れ、1日伏しただけで亡くなりました。誕生日でもあった春分の日の昼下がり、沈丁花が花盛りでした。
一昨年、墓地の改葬で48年ぶりに掘り出された祖母と再会出来ましたが、頭蓋骨を手にして顔を近付けても、声も聞こえず表情も甦りません。あの世などというのは在ってはならないと思う私なのですが、祖母にはもう一度会って、あの時のお礼を言えたらと願い続けているのです。
それにしても、蚊帳に寝た体験を持つ人など、もう少なくなってしまったのではないかと思います。蚊帳の中に蚊が入ってしまうと、蝋燭を灯して捕ったものでした。

リンをモデルにした『アケビの花と白き猫』の平薬でしたが、リンの後ろ姿を眺めるうち、どうしても部分的な彫り直しの必要に迫られて改作したのを機に、平薬も再構成しました。
リンを大きく作り過ぎているため、上手くはまとまらなかったものの、動きは強調されて面白くなったように思います。

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