五節句(五節供)とは、人日(一月七日)・上巳(三月三日)・端午(五月五日)・七夕(七月七日)・重陽(九月九日)をいい、それぞれに公式な儀式での参内などがありました。有職造花の出番は、そうした儀式や公家文化上の慣習と共にあり、とりわけ端午と重陽はその代表的なものです。端午の節会の際に参内した者達は、宮中から薬玉を下賜されて来ましたが、持ち帰られた薬玉は鴨居などに掛けられ、重陽節(菊の節句)には、茱萸嚢(グミブクロ)と取り替えられる等、公家社会の生活とは切って切り離せないものがありました。
現在では、雛人形に据えられる桜橘にのみ、辛うじてその名残が見られるばかりとなりましたが、かつては三月・五月の節句を飾った様々な人形に持たせる小道具、脇に添える立木、それを集合させて曲水の宴を作るなど、大掛かりな装置としても数多く優れた有職造花が世に送り出されました。
かつて婚礼には様々な有職造花が用意されましたが、その代表格は『奈良蓬莱』でしょう。床の間に据えられる、高さ170cmを超える規模の有職造花ですが、これが無くては本来三三九度が成り立たない意味を持つものです。その代用品ともされた嶋台は、遊興風俗の図中にも度々登場します。
『貞丈雑記』『古今要覧』などといった文献に残る薬玉図や、絵画に残る有職造花を復元したものです。様々な真の薬玉や、藤原定家の詠んだ十二ヶ月の花と鳥を題材にして、江戸期に図案化された平薬仕立ての有職造花やらの復元は、私の重要な任務と考えています。
懐石料理の前菜飾りや包丁式になど、思いがけない用途にも有職造花は登場します。また、人形に添えて自然の情景とする立木や、羽子板、壁掛けなど、創作芸術と成りうる水準を目指して制作しています。あくまでも伝統の技術と感性を基本としながらも、自由な発想で仕上げた有職造花です。