中島来章という日本画家は、公家の習俗をモチーフとしても優れた作品を残していますが、端午の節句の題材として真の薬玉だけを描いたものがあり、新たに制作する真の薬玉は是非それを復元してみようと思いました。紅白の皐は、花びら一枚ずつ型抜きして鏝当てしたものを組み立てて仕立てます。どういう訳か少し中央から外れた位置に据える薬玉は三色。それぞれの色の七宝編みで包んであります。これほどスッキリと端正な美しさを持つ飾り物は、京都ですら屈指のものと思います。画像は本体のみです。
平安時代、端午の節会に参内した公家が下賜されたという薬玉がどんなものだったのかずっと気に掛かっていましたが、この図を見た時、あるいはこの程度だったのではないかと直感したのです。枕草子に“紐を引き抜いた”とありますし、数が出来て持ち帰るにかさばらないという条件にも合うのです。仕上げてみればスッキリとして、薬玉の赤と七宝編みが映えて、小さいながら見応えのある物になりました。
伊勢貞丈著「貞丈雑記」にある薬玉図の復元です。以前からその復元に興味を持っていましたが、その図を印象づけるたっぷりと描かれた五色糸の量だと、例えコストを克服できたとしても、張り出した横棒がその重みに耐えられません。皐も花色の描き分けがなく、五色糸の結び方もおよそ絵空事であるとか、図らずもこの復元によって貞丈自身が真の薬玉を見たことがないらしいという事を証明したように思います。
何しろ文献に指定がなく、紅白の配色は私の構成です。所々の皐月の葉によって紅白も際立ち、爽やかな薬玉になっています。真偽の程は分かりませんが、一説に薬玉は玄武を模していて、淡路結びは亀の頭、下がった五色糸は亀の尾、長々と垂らした菖蒲葉を蛇に見立てているというのです。中央に五色糸が束ねられるため、高価な五色糸が5mも必要ですから、コスト面で問題が大きいかと思います。
浮田一蕙という画家によって描かれた薬玉を復元したのです。真の薬玉に属するものでしょうけれど、初めて見る形体に一目で惹かれてしまいました。 復古大和絵という分野の絵だそうで、実際にこんな薬玉が実在したのかどうかは不明ながら、主に尾張の画家がこうした薬玉の図を描いているのだとか。 重心の偏った皐月の枝が端正に組み合わされているのは絵空事でも、根引き設定された菖蒲を木彫り彩色にすることで、絵の通り薄水色の細長い葉に仕立てたヨモギと皐月の枝を先ず針金で固定し、その上から五色糸を結んで復元出来たのです。
江馬務の著作「薬玉考」に、『行の薬玉は六角の板に表を赤、裏を萌黄の布貼りして有職造花を植え付けたもの』とあるのを読んだとき、御所に伝わったらしい有職造花図案に有った、六角の妙な図案こそが「行の薬玉」であったことを初めて知ったのです。この復元は幅33cm厚さ0.7cm程の桐板を使用。拙く散漫に描かれた図案をよくよく見れば、左右に独自の流れが見えるので、出来るだけそれに忠実に植え付けてみたのです。桜・牡丹・菖蒲・卯の花・菊・紅葉・水仙の七種は、四季の網羅でしょうか。
十二ヶ月の平薬図案と復元
藤原定家が十二ヶ月の花鳥を詠んだ和歌を題材として、屏風絵や陶芸の図案としたものは、御所の調度を始め琳派の作品などにも多いのですが、この図案はどうやら本来御所に伝わる粉本の写しのようです。非常に達者に描かれた「藤」の図案を御所の粉本として古本カタログに見つけた時は驚きました。この図そのものは稚拙ながら、少なくとも配置だけはそのままに写されているのか、中々良い図案だと思います。
一月 松竹梅
定家十二ヶ月の平薬図案の内、一月のものです。藤原定家の一月の歌は柳なのですが、図案には「柳ではあるけれど花負けしてしまうので…」と書かれています。本来邪気払いを目的とした平薬とはいえ、この辺りが装飾を意図した有職造花の飾り物であった証明でしょうか。三色の梅が構成されている松竹梅ながら決して通俗に流れず、中々上手にまとめられた図案だと思います。
二月 桜
定家十二ヶ月の平薬図案の内、二月のものです。良くできた図案ですが、図面通りだと花が大きすぎてしまいますので、描かれた花や葉の付かせ方を基に、図案の趣を写すことにしました。花70、蕾25、葉104枚の構成です。こうした有職造花でも自然木を使いますので、全く同じ物を作ることが基本的には出来ないのです。
三月 藤
定家十二ヶ月の平薬図案の内、三月のものです。爽やかな緑と対比させるために藤は青系の紫に染めました。絵空事の図案でもありますから、構成された枝のどこが一番高く…などといった立体の説明が無いので、藤蔓の様な図案だととりわけ厄介です。本来不安定に垂れ下がるものであってもそれでは落ち着きませんので、所々の葉を輪等に固定させてあります。
四月 卯の花
定家十二ヶ月の平薬図案の内、四月のものです。図案は空木(ウツギ)にも見えますが、『…垣根もたわに咲ける卯の花』と詠まれているのですから、初夏の山に咲く卯の花にして図案通りの配置にしてみたのです。この図案は、御所に残っていたといわれる粉本に比べて覚え書き程度のものでもあり、原図でどの程度に描かれていたものだったのかは残念ながら分かりません。
五月 菖蒲
定家十二ヶ月の平薬図案の内、五月のものです。定家が五月の歌に詠んでいるのは橘なのですが、一月同様に“花負け”してしまうためだったのか、端午の節会の代名詞ですらある花のためなのか、代わりに菖蒲とした理由は図案の中に一言も見られません。また、本来季節の先取りとしての花選びでありながら、菖蒲はそれにも合致しない唯一の例外となっています。
六月 常夏
定家十二ヶ月の平薬図案の内、六月のものです。常夏とは撫子のことですが、初夏から秋に入るまで夏の間中咲き続けるため“常夏”と呼ばれるとのことです。花びらのギザギザは細かすぎて型に起こすことも出来ず、一枚ずつハサミで切り刻むのです。撫子のみでまとめるのは中々難しいのですが、とても良くできた図案だと思います。
七月 女郎花
定家十二ヶ月の平薬図案の内、七月のものです。秋草の代表格としての女郎花ですが、その有職造花化については私もさんざん試行錯誤するもこれといった決定打がありません。そもそも有職造花で、女郎花が作られた事があったのかどうかも分かりません。これほど図案で描くのに容易い花もないでしょうが、これほど絵空事で済む花も無いという事でしょうか。
八月 萩
定家十二ヶ月の平薬図案の内、八月のものです。萩の花自体は藤と同じ造りなのですが、何しろ細かく数も多いので難儀ではあります。三色の萩を取り入れてまとめてありますが、虫の音が聞こえてきそうな図案になっていて制作意欲を掻き立てられるのです。まだ暑い時期に懸けられる平薬ですが、秋風を呼ぶような趣を感じて頂ければ成功というものでしょう。
九月 薄
定家十二ヶ月の平薬図案の内、九月のものです。定家の九月の歌は薄だけで桔梗は詠まれていません。ここにも“花負け”しない配慮が見えるわけですが、桔梗が加わっても地味な地味な図案です。様々秋草はあろうけれど、薄が主役である以上桔梗程度に留めざるを得なかったのではないかと考えています。
十月 菊
定家十二ヶ月の平薬図案の内、十月のものです。何種類もの菊を豪華に丸の中に散らせた図案ですが、絵空事と申しましょうか、輪の寸法からすると、一つ一つの菊が大きすぎてしまうのです。そのため実際には適度に大きさを加減する必要がありました。一輪の菊を作るのに鏝入れだけで最低32回必要ですから、とても手間のかかる制作の一つなのです。
十一月 枇杷
定家十二ヶ月の平薬図案の内、十一月のものです。花自体は地味なものですが、深い緑の葉色に引き立てられるようなほんのり薄黄色の花は、濃金茶色の萼にアクセントされて金色にも見える中々美しいものです。この季節、他に花らしい花もなく枇杷にならざるを得なかったのでしょうけれど、平薬への起用は当然のことと思われるのです。
十二月 早梅に水仙
定家十二ヶ月の平薬図案の内、十二月のものです。まだ咲き始めたばかりに頼りない梅二種の様と、今を盛りに香り高く咲く水仙を組み合わせた図案です。水仙の葉は裏打ちしたものを二枚重ねて厚みを出します。ほんの薄っすらと黄にそめた絹サテンで作る水仙の花びらから、近づく春の温みは伝わるでしょうか。スッキリとまとまった図案だと思います。
文化三年七月に西村知備が著した『懸物図鏡』にある平薬の復元です。藤原定家が詠んだ十二か月の花と鳥を一つの平薬にした図案で、以前復元した御所に残る粉本のとは全く違うため、一月の図案が本来の“柳”であるかを知りたくて買ったものの、やはり松竹梅でした。しかも、鳥は押し絵で作るとある通り、基本的に江戸趣味で、有職造花に肝心な都の香りがありません。それから十年を経て改めて見た時、鳥を木彫彩色にしたら案外面白いのではないかと復元に踏み切ってみました。
一月の平薬(松竹梅に鶯)
復元とはいうものの、絵空事である図案では松が上手くはまってくれません。一番の縁起物ながら、この図案では三色の梅と若竹の組み合わせがことのほか瑞々しい美しさで、松を省いても何の影響も無いのです。しかし、松竹梅を成り立たせなければなりませんから苦肉の策。小さな根引き若松を作って鶯に咥えさせることにしたのです。鶯は、若草の緑に対照的な岩絵の具の赤茶を挿して彩色してあります。
一月の平薬(松竹梅に鶯)
以前の復元では、松を図案通りに配置することが出来ませんでしたので、再挑戦しました。
二月の平薬(桜に雉)
雉は彩色も厄介でしたが、ゴテゴテさせずにさらりと絵付けしました。咲き乱れる桜の下に身を隠すようにいる雉との組み合わせは非常に華やかな筈なのですが、存外落ち着いて趣のある平薬になったと思います。山桜のような茶系の葉を使っていますが、こうした桜には互いの色を引き立てさせる意味からでも、若々しい緑の葉の方が相応しいかも知れません。下草の菫やタンポポは、図案にないものです。
三月の平薬(藤に雲雀)
鳥の木彫り彩色は思いの外楽しく、この雲雀なども随分楽しんで彩色していました。色も文様も、実際の鳥とは違った様式化にあるのですが、リアリズムが飾り物に相応しいわけでなくとも、その融合はやはり容易くありません。図案の藤は非常に絵空事で、復元ではその配置(花房の付き方など)に手こずる事になりました。立体では絵のような訳にはいかず、誤魔化さざるを得なかったところが多々あるのです。
四月の平薬(卯の花に時鳥)
本来押し絵で作るとある鳥ですが、ホトトギスは中間に飛んだ状態のため、枝先の針金を延長してそれに刺し、葉と花によってカモフラージュしてあるのです。卯の花は作業に厄介な花ですが、たわわに咲き匂う白い花は、緑の葉に殊更映えて美しさが際立ちます。ホトトギス自体は地味な鳥ですが、颯爽と飛ぶ姿に爽やかな季節感も湧き出てみえるこの図案は、なかなか良く出来ているように思います。
五月の平薬(菖蒲に水鶏)
そもそも定家の五月の歌は橘で、菖蒲ではありませんが、この版本にもそれを菖蒲に代えた理由について全く記載がありません。興味深い事に、この図は沖一峨による『薬玉図』(細見美術館蔵)に描かれていますから、実際に制作されたのかもしれません。ここでの“水鶏”とはシギ科の鳥には違いないものの、どのシギやら分かる筈もなく、それで木彫りにあたっては、沖一峨が描いた鳥を復元の根拠としました。
六月の平薬(常夏に鵜)
復元の手始めに選んだのがこれで、鵜と篝火の木彫りへの興味でした。鵜の後ろにある川の流れは、薄い桐板をくり抜いて染めた絹を貼り付けてあります。どの平薬も鳥を載せる土台がなかなか問題で、鳥も台も出来るだけ軽くなくてはいけませんし、平薬の事で壁面の平面に飾られるのが常なのですから、後ろに出っ張ってもいけません。常夏の殆どは薄い赤紫にしましたが、これは河原撫子を意識したのです。
七月の平薬(女郎花に鵲)
有職造花でどんな風に女郎花を作ったのか見当もつかず、これだけは復元出来ないでいたのです。ともかく3羽のカササギだけでもと木彫り彩色してみたら、それが思いのほか愛らしく出来たので、女郎花がどんなであろうが平薬に復元したくなりました。この図案は、7月(新暦8月)の猛暑の中に飾られて清涼感をもたらす、そんな色彩構成に最大の意図があったのかと思われるほどその対比が美しく、私も涼しげな気持ちで出来上がった復元平薬を眺めるのですが、図案は所詮絵空事。有職造花で女郎花が作られた事など、実は無かったのではないかと思っているのです。
八月の平薬(萩に雁)
ただでさえ花も葉も非常に面倒な萩に、雁を5羽も木彫り彩色しなければならず、とうとう復元に息切れしてしまって作り残していたものです。
萩の葉には渋い草緑に染めた絹を使ったので、紅い萩は薄めの桃色として、紅の後刺しもしませんでした。
そんな色彩調整をした雁の彩色は、茶色の上から薄く溶いた水色の岩絵の具を何度か掛けて溜まらせてあります。
彩色が下手な私にしては割合上手く行ったように思えますが、あまりに近代日本画のようで、江戸期の復元として相応しくはないでしょう。
また、雁の頭は5㎜程度しかありませんので、表情とかの描き込みが出来ていません。
『懸物図鏡』は、これで11か月を復元させたのですが、七月の女郎花ばかりはどうにも制作法が思いつきませんので、事実上復元はこれで終了ということになるでしょうか。
九月の平薬(ススキと白桔梗に鶉)
何故かこの図の桔梗は白一色なのです。紫を混ぜる賛同を得ようとある方に相談すると、復元の意味からしても、古人のプランにはそれなりに必然性があったのだろうから、それを尊重して図の通りにすべきだとの見解を聞き、なるほどと白桔梗のみにすると、七宝編みまで赤糸にした薬玉との相乗効果は目覚ましく、絶妙に映えたのです。鶉は彫刻も彩色も難儀しましたが、やけに可愛らしく出来たように思います。
十月の平薬(菊に鶴)
こうした図というのは絵空事に徹しているもので、実際に作るとなると先ずそのまま写すということにこそ無理が生じるのです。また版本の事で色彩の限定がありますから、出来るだけ忠実にと心掛けても、最終的には“意を汲んだ”解釈での復元を余儀なくされますし、それで良いのではないかと考えています。花はともかく、鶴を木彫りする段になってしっかり見ていなかったためポーズに若干の違いがあります。
十一月の平薬(枇杷に千鳥)
絵空事と言いますが、この図案通りに葉数を用意しても、全く足らないのです。そのためもあり、この平薬の復元は意臨という事になるでしょう。枇杷の花はもっと複雑な形をしているのですが、あまりにも小さなものになるため、雰囲気のみを伝えるものにしてあります。5羽もいる木彫り彩色の千鳥は何とも可愛らしいものですが、ユーモラスですらある体躯と枇杷の花とは相性が良かったように感じています。
十二月の平薬(早梅に鴛鴦)
どうしたわけか、九月の図案が白桔梗だけだったように、十二月の図案も薄紅梅のみなのです。鳥との組み合わせであっても、それが主役になるほどの主張は無いのですが、雄の鴛鴦の、あたかも玩具のような形と色に戸惑い、なかなか彫る気になれなかったのですが、いざ手がけてみると可愛らしく、とりわけ雌の鴛鴦がお気に入りなのです。その彩色には、本物よりも花鳥画が参考になるのです。
御所に伝わった粉本の写しかどうかは分かりませんが、江戸時代のいつ頃に作られた物か、値段まで記載された有職飾りのカタログのような巻物が古本で出たのです。そこにも『四季風鈴掛』が載せられているというので、買い求めた友人に見せて貰うと、京都に残されていた『四季風鈴掛』図とは微妙に異なりますから、それらが同一の原画から写されたものかどうか疑問なものの、少なくとも『四季風鈴掛』なるものがこうしたものだという確証は得たのでした。随分大袈裟で贅沢の極みながら、ともかく風鈴として空間に吊されたのでしょうから、籐の輪に留まる鳥は長い尾を後に伸ばしていたはずで、そのため有職造花も平薬より多少立体的に構成してあります。