梅と鶯に若松を組み合わせて洲浜台に載せた、早春の嶋台飾りです。
徐々に水の温む穏やかな季節をイメージさせるのに、紅梅は桃色にしました。
紅梅の咲く枝の下に、雪解け水のような、未だ冷たい色の流れを描いたのですが、これは上巳の節句に行われる『曲水の宴』を暗示してみたのです。
尚、これに笹竹を加えると松竹梅になり、正月飾り物にも使えますので、桐の台座を羽子板にしてあるのです。
端午の節句頃の懐石料理の前菜を並べる台に乗せる飾りとして制作したものです。檜を流水形に抜いた表面に純金泥を塗り、八つ橋の両脇に二種の花菖蒲を植えましたが、池からつんと出た竹竿を添え、その天辺に花菖蒲の頃に飛ぶ小さなトンボを止まらせてみました。羽根は薄絹です。
九州サミットの晩餐会や高級料亭の玄関飾りとして、有職造花が使われています。
和食での晩餐会の前菜飾りとして制作した有職造花は、開催の季節に合わせて七夕飾りを制作しましたが、短冊には大國主尊の娘玉照姫の歌「天なるや おと七夕のうながせる 玉のみすまる みすまるに」を五枚に分けて仮名書きしてみました。
下の土盛りは、桐に岩絵の具・純金泥で彩色したものです。
高級料亭の会席料理の前菜台に中央に乗せる有職造花は、会席料理の季節に合わせて作られます。
州浜台上に、その季節に相応しい有職造花を置き換え、前菜を周囲に並べます。
重陽節の頃の懐石料理の前菜飾りです。赤・白・黄三色の菊を奇数個を配してあります。土盛りは桐本体に岩絵の具と純金泥で彩色してあります。前菜台の飾りは前後どちらから見ても見映えがしなければならず、その点は制作上に困難でも、楽しいところでもあるのです。
松から中秋の名月が顔を出した光景ですが、満月は木彫りに純金泥の彩色です。
松の根元に、名残りの白芙蓉、女郎花、桔梗、ススキを植えて秋の野を作り、それを三宝に載せただけのことですから、洲浜台に載せれば前菜飾りにもなりますし、利用の仕方には応用が利くのです。
また、置場所のサイズによって松の背丈や花の大きさを決めれば良いのですから、これは様々な応用の雛形という役目も持つのです。
三宝に松、橘、八重椿をコンパクトに盛った正月飾りですが、婚礼で嶋台の代わりに置くのも可能かと思います。
椿には霊力があるとされ、しばしば有職造花にも使われますが、霊力が宿るのは花ではなく実のようです。
しかしながら、そこは飾り物のことですから華やかな八重椿に替えるなど、こうした臨機応変さは有職造花の特徴でしょう。
垂れ桜の立木と紅葉の立木を主体として構成した三宝飾りです。四季を一つに盛るため、桜に菊や紅葉に藤など、自然界では有り得ない光景になっていますが、こうした絵空事も有職造花ならではの醍醐味と申せましょう。前方からは見えないところに撫子を植えるなどして四季を叶えたりしているのは、後方から見てもそれなりに見えるようにする配慮だけでなく、遊び心でもあるわけです。尚、藤の花房は固定せず、風などで揺れるようにしてあります。
岐阜にある『モネの池』のような池を作っり、睡蓮などの水生植物の他、淵にも季節の花を咲かせて欲しいとの要望で作ったのです。
池の傍らに置くという子供の人形との比率では、睡蓮が直径1㎝にもならないことに戸惑い、半年も考えてから、そもそも人形がデフォルメされたものなら、池は池、植物は植物。近景をズームさせたデフォルメで、遠景と近景を同居させて構わないだろうと考え付いたのです。
幅1mの池の中は夏で、睡蓮、河骨、沢瀉の水生植物を。池の向かって右半分は早春で、白梅、水仙、蕨、土筆、菫、蒲公英。左半分を春たけなわの頃として、山藤、山吹、菖蒲の12種類を植えたのです。
池の淵は、泥絵の具と工芸用の砂を土台にして、岩絵の具で仕上げてあります。
幅148、奥行き100、高さ85㎝という、今までに作ったこともない巨大な立木です。
梅の古木の幹を何本も使っての木組みですが、高さが決められていましたので、銘木にありがちな、太い枝を横に長く這わせた形にしたのです。
立木の出来の良し悪しは、木組み・枝組みで99%決まってしまうと思っているのですが、これは木組みした時点で成功の見えた制作でした。
葉数3000、果実107、花31、蕾50以上による構成です。
高さが75cmもある松の立木は、丸平雛コレクターの方が、人形とコラボさせるための依頼でした。
花を添えるなりして、常緑樹の松に何とか四季を表せないかというご希望でしたので、ならばと松の根元を四角くくりぬき、同寸の板に12ヶ月の花を植えて、簡単に入れ替えられるようにしたのです。
これならばこの先どんな花でも追加することも出来ますが、あくまでも添え花の事で松の威厳のようなものを犯してはなりませんので、高さも18cmまでに押さえました。
松の土台を小さく仕立ててあるのは、有職造花や人形と組み合わせ易くするためです。
私の雛コレクションのうち、尺三寸仕丁は、まだ春浅い庭で焚き火を囲み質素な宴会をしている設定です。飾り気に乏しく宴会というのに寂しげに感じていたのですが、ふと思い立って背後に花盛りの白梅立木を置いたらどうかと作ってみたのです。梅は、嶋台やら平薬やらで数々作って来ましたが、立木の制作はこれが初めてでした。私の有職造花制作で使う自然木が梅のことですので、木組みはとりわけ自然に近く出来たのです。花数は五百ほどで、根元に二色の水仙とヤブコウジを植え付けました。
おぼこ七寸の立像を立たせる、早春の庭です。「人日行の薬玉」制作で初めて挑戦した南天の成功に気を良くしていた時、おぼこ雛を所有される方から、紅梅に南天、福寿草を組み合わせたら、さぞ色合わせも美しく穏やかな早春の庭が出来るのではないかと提案があり、即座に頭の中にその光景が広がりましたので、おぼこ雛の背丈から紅梅の寸法を二尺に決めたのです。紅梅の薄桃、南天の赤、福寿草の黄という色の組み合わせは、早春の庭の穏やかさを醸し出したようです。
それほど大きなものではありませんが、速水御舟の『名樹散椿』をヒントにして作った立木でした。ヒントに…というよりも、当時好んで作っていた八重椿の集大成のような物を作りたくて、一本の木に様々な八重椿が咲く立木をと考えついた時、恐れ多くも速水御舟を思い起こしたというわけです。
暈かしの花びらは、どんな花であろうと技法は同じなのですが、白い花びらに赤い縦線文様の花びらは、裏打ちした白絹に先ず礬水(どうさ)を引いて滲みを止め、紅の線を縦に引いてから花びらにカットして、鏝当てしてあるのです。
白椿は、花びらの混んだ中央が少しだけ絹独特の薄黄色に見えて、なかなか美しかったのを思い出します。
この桜立木は、野に立つ満開の桜をとの依頼だったのです。随分以前から依頼を受けて木組みだけは済ませていたのだけれど、規模の問題やらでそのままになっていたのですが、気分転換の必要もあったりでふとその気になり、重い腰をようやっと上げての制作でした。
花には、細かい縮緬のような生地と絹サテンと、光沢や質感の違う二種類を使い、強めの桜色に染めて満開の華やかさを強調しました。花数は801。それに200程の蕾と280枚程の葉を混ぜてあります。
立木というのは枝振りを自然に近くするほど、 どこから見ても様になるように花を付けなければならず、すると、びっくりするほど花やらの数が必要になるのです。
ゴテゴテさせない最小限の花数でもたっぷりに見えて、それでいながらスッキリしているというのが理想に違いないものの、その技術は有職造花究極のものと言うべきですから、まだまだとてもそんな風には出来ません。
先日桜の話を美術関係の方々と話していたら、私が最も惹かれる二分咲き、三分咲きの美学というものが今一つ分からないと言われました。美学の問題でなくとも、これから咲いてゆくという力に溢れた時の桜は、花の色も萼の色も瑞々しく鮮明で、何もかもが輝き詩情にすら溢れているものです。
私にとって垂れ桜の理想は、奥村土牛の描いた『醍醐の桜』なのです。それで、先ず3種類の絹を5種類の濃淡の桃色に染め分け、小さな蕾は赤に近い濃い桃色にして、全体を引き締めるアクセントにしました。
花は1380。蕾の分を加えた萼は2100以上。
木組みは、幹も枝も大胆に太い梅の古木を組み合わせ、細い枝は下向きに固定して、自然に枝が垂れるようにしました。
枝の植え付けでは、途中で具合を見ながら、長い枝に短めの枝やらを結わえ、脇から枝が出て垂れるように仕立てては植え付けたのです。
台座に、イモカタバミという清楚な野の花を植えた仕上がりは、間口85㎝、奥行70㎝、高さ70㎝ほど。『醍醐の桜』とは随分違いますし、写真では、立ち木ならではの立体や空間が写し出されませんが、それでも華やかでスッキリとした仕上がりは感じられるようです。
随分な躊躇と葛藤の末に制作を引き受けた染井吉野の立ち木でしたが、その大きさといったら、幅200cm、奥行141cm、高さ158cmという、これだけ巨大な有職造花など、かつて作られた事はなかったのではないかと思う程のものになりました。
制作中に何度も、本当に完成出来るのだろうかと不安に駆られたのです。
4ヶ月を費やして作り上げた11000の花と蕾を使って小枝に仕立て、梅の古木での木組みに、出来るだけ満開に見えるよう植えたのですが、左右の下方には更に3本の枝を継ぎ足して、花を加えたのです。
根元に咲かせた野草は、スミレとイモカタバミです。
大きな藤棚制作のご依頼では、いつもながら送る箱が一番の問題でしたが、ちょうど手許に550×550×850mmという大きな箱がありましたので、その箱を立てた縦長の空間に入る藤棚を造ることにしたのです。
梅の古木で藤棚に届く幹を設定してみると、垂れ咲く山藤の美しさや蔓の曲線の妙味は、棚など誂えるまでもなくそれだけで十分に引き出せると気付き、棚は省いたのです。
葉の塊が枝の諸処に付く山藤ですが、それには予想外の葉数が要り、520枚ほど用意した葉など、たかだか4本の蔓の分にしかなりません。更に680枚程を作り足せば、今度は11本用意した青藤の花房だけでは足らず、色の対比を図って白8本と薄紫2房を足したのです。全ての花房は蔓に固定せず、風や振動で揺れるようにしてあります。
花と葉はスッキリと爽やかに、蔓は踊るような曲線で空間に這い出して出来ましたが、ただなるがまま楽しんで構成しただけなのです。思いがけないほど端正に仕上がりましたので、土台の根元に何を植えても余分に思えましたので、岩絵の具で木漏れ日をイメージした岩絵の具の彩色にとどめたのです。
上に載せた『桜立木』は、その前に見事な黒馬を置いて、その背中に白拍子を腰掛けさせ、その下にも白拍子をもう一人立たせ、轡取りの若侍まで侍らすという構想のための小道具だったのです。
そのため桜の根元に、スミレとタンポポの下草を植えて…とのご要望だったのですが、立木がリアルな出来上がりだったため、ただでさえ可愛らしさを強調する下草ですし、何よりも大きさの対比が不自然になるのは明らかでしたから、下草は別に作って白拍子の足下に置けるようにするとの約束で作ったのでした。
割合出来が良く、愛着も残る仕上がりになった桜立木でしたから、単品としてそのまま飾れる価値あるものとしておきたかった思いもあったのです。
さて、スミレもタンポポも決して容易く出来上がる有職造花ではありません。花の大きさや花びらの細かさからして、通常の裏打ちだと厚すぎてしまうのです。
今回は双方とも花びらには裏打ちを施さず、染めた絹自体に糊を打って華奢なものにしてあります。
レンゲの花を作るのは初めてでしたが、曲がりなりにも藤や萩を作れているのですから、技術的には別段特別な用意や身構えなど必要もありません。
図鑑で花の成り立ちを見れば、レンゲの花は細かいパーツの集合体で、それは十分に有職造花の技法を当て嵌められるものでした。
有職造花というのは、作る花にどの技法を当て嵌めるか…どの鏝当てを当て嵌めるかという要素が強く、相当強引なくらいに当て嵌めてしまっているものです。
最初は向かって右を大きく空けてあったものの意図が通じ難い気もして、色彩の対比を図り若干季節外れになるのですが、オオイヌノフグリを添えたのです。
人形に添えて、秋の光景にしたいとの要望で作ったのです。
何種類かの小菊が、庭の隅に花を咲かせている光景ですから、出来るだけ自然に植え込みました。
重陽節は、旧暦の九月九日で菊の節句と呼ばれます。
平安時代には、五つある節句のうち、最も重要に位置付けられた節句とのことながら、今はその節句自体が知られなくなってしまいました。
花が殆ど終わった山桜に興味を持っていた頃、ちょうどいい枝振りの梅古木が手に入ったので作ってみたのです。葉は1700枚以上ありますが、濃淡三色に染めた絹サテンを大小型抜きしてから、一枚ずつ紅をさしてあります。土台に数枚の花びらを散らしてみました。部分図の内、暗いものは蝋燭の光で撮影したものです。
要望があり、朝顔の垣根を仕立てました。
いつもの通り、こうした蔓物は先ず単品で見映えがするように仕立ててしまい、白木の土台に結った垣根に巻き付けてあるだけなのです。
この方法だと、花の位置や混んだ葉の分散などは偶然の産物となるのですが、それは作っている本人が感心させられたりするほど、思いがけない効果を引き出してくれるのです。
勿論、偶然だけで完成してしまうわけではなく、微調整に至福の時間を費やします。
花びらに和紙の裏打ちを施さない朝顔ですから、絹サテンより切り口のほつれが少なく腰もある、細かい縮緬のような絹を使ったためか、暈かしも自然でしっとりとした趣に仕上がったようです。
白萩と曼珠沙華でとの依頼でした。実際にはもっと沢山の花が付かなければならないのでしょうけれど、萩の花は一花ずつに針金を貼り付け、絹糸で括ってゆく藤花と同じ制作法ではあるものの、何せ小さく数が多いので、藤花制作の手間すら霞む程の面倒に閉口してしまったのでした。また、高さ尺三寸程の萩ですら葉数は1100枚近 くも必要ですから、自然界の葉数、花びらの数といったら、それこそ気が遠くなるようなものなのでしょう。
前作から五年しての本格的な紅葉制作でした。木材は梅の古木。曲がりがあり、細い枝まで堅いので非常に重宝します。色に深みと変化が出るように、何種類か薄く染めた下地に何色も後刺しを繰り返して染めます。幅80cm奥行60cm高さ50cm程ですが、葉数は980枚前後。熱した鏝で一枚に18本前後の葉脈を引いて行きます。どこから見ても観賞に堪える様にしなくてはなりませんが、だからとゴテゴテになってはいけません。葉の角度を一枚ごとにピンセットで調整します
大きな紅葉ではありますが、木組みに使う木材に恵まれないと、このように紅葉も紅葉にはなりません。
有職造花といえど、花や葉がどの様についているかとの観察が重要で、自然の成り立ちに添ったものでなければなりません。
下草として、小菊・ススキ・桔梗・お茶・女郎花を植えました。
松竹梅の羽子板(54cm)です。
紅白幕に松竹梅と藪柑子という縁起物を集めたオーソドックスなものと、酒井抱一の松竹梅図をヒントにした、新作の松竹梅羽子板です。
新作は、経年にくすんだ絵絹の様を模して、少し黄ばみの入った丹後縮緬を貼った上に、松竹梅のみを構成していますが、通常なら金の遠山を描く裏も、表の梅に飛来する鶯を一羽描いてあるのです。
茱萸嚢のような壁飾りが出来ないかと提案されて作ったのです。
嚢は大きな小葵文の上等な生地を用いました。
嚢のアウトラインに切った厚紙に竹筒を括り付けて忍ばせ、綿で整形してから房飾りを施した丈20cm程の嚢を本体として、その都度その時期の花を誂えて挿し替えれば、いつも季節に対応出来るというわけです。
総丈は30cm程、これは深秋の飾りとして玉菊・小菊に紅葉の一枝をまとめたのです。
壁掛け
檀紙と砂子撒き和紙を重ねて折った本体を揚げ巻き結びした絹紐に固定し、そこに季節の有職造花をあしらい、更に長さ150㎝の五色紐を淡路結びして飾った、壁掛け式の熨斗飾りです。
茶会や正月飾りとして、手軽に飾れる有職造花ですが、本体を1つでだけ誂え、花だけを季節に合わせて交換するような作りにも出来るのです。
直径21cmの桐板に五節句を題材とするなど、ゴテゴテさせずにあっさりと有職造花を配置した壁掛けです。
直径21㎝の桐板に水仙と笹だけでさらりと構成したのです。
水仙の花びらは6枚ですが、3枚の花びらが丁度正三角形に収まる形のため、それを切り出してから各々鏝当てした後、互い違いに2枚を重ねて貼り付けた底に、細長い円錐型に丸めたパーツを糊付けしてやっと一花になるのです。
水仙の小さな花びらやヤブコウジの葉の鏝当てには筋鏝でなく玉鏝の方がふっくらとした形に仕上がるのです。
白梅に椿を二輪ばかり加えて、春先の光景としたのです。
桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿と言われるように、梅は新しく出た小枝に花咲いて実を付けますから、花や蕾の付いた小枝は全て緑の絹糸で巻き上げました。
実際にはそんな形でもないのですが、有職造花の梅は花弁にふくよかな丸みが必須で、それがなかなか厄介なのです。
絹の質によっても、膨らんでくれるものとそうでないものと随分差が出るのです。
ずっと以前、改まったパーティー用のコサージュを八重椿で…とのご依頼で作ったことはあるのですが、その実私は、女性が胸に付けるコサージュというものが、通常どんな形体を取っているのかまるで知らないのです。
今回のコサージュは、季節柄もあるのでしょうけれど、清楚な野草を好まれる方ならではに、スミレとタンポポでとのご要望でした。
そのスミレですが、実際には何種類もあって、それぞれに葉も花の形も随分違うのです。しかし飾りのことですから、そうした自然の模倣から離れて花の成り立ちを装飾的に簡略化し、薄紫の暈かし染めにして仕上げたのです。
小さな輪を使って平薬のようにしてみようかとも思ったのですが、それによってタンポポの茎を湾曲させるプランを思い付いたら、一気に仕上がってしまいました。気に入って頂けたようですから安心はしているのですが、わざわざ有職造花でコサージュをなどと思い付いて下さった事自体に、とても感謝しているのです。
挿頭とは、上古の日本人が神事に際して髪や冠に挿した草花の事で、本来はあくまで装身具とは違う、儀礼の道具という位置付けのようです。
さる神社の式年奉幣祭で著用させたいとの依頼で、それに相応しい桜橘の挿頭を制作しました。
桜花6輪、蕾中5輪、蕾小3輪、桜葉8枚に、橘2枝という構成です。
簪は、1本の軸から放射状に広がる茎の先端に花を付け、直径9cm程の半球になるように組み立てて欲しいとの依頼で作ったのです。
松や梅、椿だと問題ないのですが、ぼかし染めによる中間色が使われた牡丹や桔梗の簪は、有職造花の美感や感性からすると、モダンに過ぎて思います。
四月中頃、平安神宮で行われる包丁式に使うため、有職造花で桜の枝を作って欲しいとの依頼でしたが、どんな風に使われるやら分からないままの制作でした。後に依頼者様から包丁式の様子を写真でお送り頂いたのですが、右手の包丁を馬の手綱に見立て、左手に桜の一枝を持った武将が馬で駆け抜けるイメージだとお聞きし、なるほど…と感心しながら、晴れの舞台を踏めたこの有職造花を幸せに思いました。
桜を使って三月の懐石料理の前菜飾りをという依頼でしたが、大きな蛤に金箔で装飾を施し、その中に小さな桜の一枝を入れてみたのです。その後、雛祭に使いたいからとのことでしたので、桜を桃花の一枝に替えたものも作りましたが、色の濃い桃花では蛤の殻自体の美しさが削がれるように感じました。何よりも二番煎じはいけないと痛感したものです。
加賀の千代女の俳句『朝顔に釣瓶取られて貰い水』を捩(もじ)った有職飾りです。
真冬の道の駅で、白木で作られた曲げ輪っぱの柄杓を見つけた時、即座に思い付きました。
夏の飾りに相応しく、すっきりと涼しげに仕上がったように思います。
白木の柄杓(ひしゃく)を使った有職飾りです。
情緒のある素朴な柄杓ですから、季節の花を替えるだけで、さりげない設えになるかと思います。
オモダカの葉と花をそれぞれ2本ずつ、最小限にサラリと涼しげに束ね、白木の柄杓に載せたのです。
仏壇に飾る蓮華をという依頼でした。
針金で蓮の葉脈を渡し、裏に和紙を貼ってから、葉脈をたわめて葉を形作り、束ねては茎にするのです。
桶の底から取手の先端まで60㎝という漆塗りの花器ですが、木地は、人間国宝の中川清司さんの作です。
本物の花を活けるように作られた花器ですから、実物大の有職造花になりました。
私が作る菜の花は、季節に先駆けて花屋に現れる、太い茎に眩しいほど瑞々しいクシャクシャの葉の固まった菜の花ではなく、道端や畑に少し伸びてしまって、種の鞘の用意を始めている頃のものなのです。
華奢な茎に付いた鞘の角度が気まぐれに愉しく、それまで仕立てるのが私流の有職造花でしょうか。
福井にとても興味深い提案をされるお客様がいらっしゃいまして、四季の嶋台もその一つでした。間口七寸ほどの洲浜台に、四季折々の景色を…とのご要望なのですが、そもそもその方の心象風景なのですし、使って欲しい花の指定しか無かったのですが、何となくその意図が伝わったのです。四季を作り終えてふと気付けば、どれもこれも“風”をテーマにしていました。春風,涼風,野分,海風と、それぞれの風を如何に表すか、それがそのまま季節そのものの表現だったのです。
春の嶋台は、満開の桜の下にスミレとタンポポが咲く春爛漫の光景を…とのご要望でした。しかし、桜立木だけでも洲浜台の幅が六寸という寸法では無理があり、まして野の花との比率などとても叶えられませんから、その辺りはデフォルメというわけです。春もたけなわ、そろそろ散り始めた桜の根元にスミレとタンポポが咲き、その間を春風が花びらを運んで過ぎる…そんな光景です。スミレは依頼者たってのご希望で初めての制作でしたが、可愛いらしく出来て自分でも気に入っているのです。
夏の嶋台は、百日紅と白百合、そして睡蓮でとのご要望。依頼者の憧憬は百日紅にこそ顕著で、何としても百日紅をメインとした嶋台を作って欲しいとの要望ながら、この花はその形状から制作の手懸かりすら持てずにいました。そこで苦肉の策として、花を遠くから見たような塊として捉えてみたのです。有職造花の製法としては材料からして逸脱した代物でしょうけれど、今はここまでなのです。トンボと波紋をあしらいましたが、真夏の昼下がり、水面に渡る一瞬の涼風を感じて頂けるでしょうか。
秋の嶋台は、紅葉、萩、ススキ、桔梗、野菊で秋の庭の光景をとのご要望でした。萩の盛りと紅葉とは時期にズレがありますから、そこであえて紅葉は立木に作らず、落ち葉にとどめる事にしたのです。散るにはまだ早い紅葉を落としたのは、萩やススキや何もかもを同じ方向に靡かせて駆け抜ける野分です。深秋というには菊も桔梗も鮮やかに過ぎて、なかなか思うような雰囲気が出ませんでしたので、葛の葉と鬱蒼たるススキの葉で草深い庭を演出。 ススキには、ウマオイを一匹しがみつかせてあります。
冬の嶋台には、一月初旬の越前海岸斜面に群生して咲くという越前水仙が、老松の根元に繁る光景をとのご要望でした。福井に足を踏み入れたこともなく、その水仙すら見たことの無い自分だというのに、地元福井の方からの依頼を受ける事自体が無謀なのですが、どんな光景を頭に浮かべておられるのか簡単に図を描いて頂いたら、イメージしていた光景と酷似していて驚きました。吹き上がる海風に枝を張る一本の老松の下、身を寄せ合って夥しい数の水仙が咲く、越前海岸の冬景色です。
浮世絵で、夏の軒先に下げられた光景をしばしば見受ける切子燈籠ですが、そもそもは御所で飾られた物なのだと説明されて驚いたのです。
制作を渋っている私に、だから有職造花で作って遺す事が重要なのだし、貴方ならではの任務なのだと焚き付けられ、一つだけなら…と渋々引き受けたのでした。
この切子燈籠も地方によっては、嫁いだり外で独立した子供が、親の新盆に一対贈って盆棚に下げる風習があります。もちろん新盆が済んだら、墓に下げて雨ざらしにされたり燃されたものですから、細い木の骨組みと白い紙で作られた簡素で涼やかなものだったのです。
伝統的に麻の葉文様に切り抜いた和紙を全体の文様としたものの、その手間を疎んで薄っぺ らいレースを使うように変わり、更にけばけばしい電飾を巡らせたり、多くは通俗の極みに変化もしたのです。
この切子燈籠は、出来るだけ工芸品としての価値を持つようにとの依頼でしたので、本体を絹張りして有職造花を施すなど贅を尽くしていますが、麻の葉の伝統は残したのです。
張り出した四方に四季の有職造花(牡丹・紫陽花・平菊・雪椿)を付け、上部の取っ手のような所には朝顔を這わせているばかりか、画像からは見えませんが、火袋の中に白芙蓉、薄、桔梗に女郎花という秋草を植え付けてあります。
本体下に下げられた和紙に切り抜かれたのは故人の戒名、火袋の中央に貼られているのはその家紋です。