■ 節供の有職造花

五節句(五節供)とは、人日(一月七日)・上巳(三月三日)・端午(五月五日)・七夕(七月七日)・重陽(九月九日)をいい、それぞれに公式な儀式での参内などがありました。有職造花の出番は、そうした儀式や公家文化上の慣習と共にあり、とりわけ端午と重陽はその代表的なものです。端午の節会の際に参内した者達は、宮中から薬玉を下賜されて来ましたが、持ち帰られた薬玉は鴨居などに掛けられ、重陽節(菊の節句)には、茱萸嚢(グミブクロ)と取り替えられる等、公家社会の生活とは切って切り離せないものがありました。

五節句の有職造花

五節句の有職造花
著名な博多人形師の息子さんが描かれたという、五節句の図案を平薬にしてみたのです。
昔の『引き札』のような恵比寿さんが、五節句の花で飾った輪の中で鯛をさばいている図なのですが、中をそっくり省いて、五節句の花だけの平薬に仕立てたのです。
厄介なのは雪かぶりの若松でしたが、白絹に部分染めしたのを用いてみたら、何とかそれなりに見えたようです。
黄色の玉菊の1つは、若干金色に見えるような黄色にして、裏に紅絹を貼ってあります。非常に華やかです。
これ以上ないほどの品格に溢れて仕上がったように思います。

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 人日

七草籠
尺三寸という大きな官女の小道具として使う人日の飾り物ですが、中島来章の描いた『五節句図』に、人日のモチーフとして描かれている『七草籠』という絵の再現なのです。
珍しい竹籠ですが、これを自分で作れずに十数年を経た時、ふと立ち寄った竹細工店の職人さんの協力が得られてやっと出来たのです。
蕪(すずな)や大根(すずしろ)の根菜部分は木彫り彩色、葉物は質感に合わせた生地と鏝当てで誂え、それを白木の土台に固定して竹籠に収めてあります。 何と言っても飾り物の事ですから、はこべら(ハコベ)となずな(ぺんぺん草)には、色合いのアクセントから蕾を強調し、ナズナなどペンペンの部分だけを作って中央に突き出たせてあります。良く見えず残念なのですが、とりわけ蕪(すずな)は愛らしく出来ています。
人日と上巳には、端午の『真の薬玉』、七夕『七夕花扇』、重陽『茱萸嚢』というような、その節句ならではの飾り物というものがありません。
正月飾りに相応しいというだけで、七草と何ら関係のない『掛け蓬莱』を人日の飾りとするのにずっと戸惑っていましたから、この『七草籠』が出来たことで、長年の気掛かりからやっと解放されたように感じているのです。

七草籠
七草籠『七草籠』(高さ15cm)
七草籠
七草籠
七草籠
七草籠

大きな七草籠
髭籠(ひげかご)という竹籠を誂えられた方から、七草籠の依頼があったのですが、ほぼ実物大の七草になりました。
七草籠は、薄い板を台にして構成してから、籠の中に収めるはずが、出来上がる草ごとに自然に差し入れていたら、それで様になって思えましたので、作為を加えずそのままにしました。

大きな七草籠
大きな七草籠
大きな七草籠
大きな七草籠
大きな七草籠
大きな七草籠

掛け蓬莱
陰陽道に則った五色の苧(お・麻)を紙包みして、若松に紅梅白梅と竹、そして福寿草をあしらった蓬莱飾りを施してあります。
高級料亭の玄関や茶室に、新年やお祝い事などの際に飾ったりします。
ふんだんに使った苧は見映えがありますが、本来は、強い生命力で木に巻き付く常緑種ゆえ、古代から生命の象徴として崇められた日陰の蔓(ヒカゲノカズラ)というツル植物を用いますので、あくまでその代用でしょう。
植物の事で枯れてしまいますから、こうした工夫は装飾性をも叶えて効果的だったと思います。

掛け蓬莱『掛け蓬莱』(全長200cm)
掛け蓬莱
絹糸の掛け蓬莱『絹糸の掛け蓬莱』(全長180cm)

絹糸の掛け蓬莱
掛け蓬莱は、本来日蔭の蔓や五色の麻を長く下げますが、これは五色に染めた絹糸を束ねて垂らしてあります。
しかし、スガ糸では静電気によって絡まってしまい、陰陽道極彩色の糸も災いして何とも汚らしくなるため、あたかも“おすべらかし”の付けかもじに水引を結ぶ様に、数ヶ所を括ったのです。
随分贅沢な掛け蓬莱ではありますが、あくまでも飾る場所を選ぶ特殊なものかと思います。

太い絹糸の掛け蓬莱
麻による下げ紐が入手出来なくなり、代わりに絹スガ糸を使えば静電気で上手く行かず、ならばと紬に似た織物にするために紡いだ太くて縮れた絹糸をふんだんに使って制作してみたのです。
この糸の塊を見て、殆どの方は絹だとお気づきにならないだろうほど地味な感じの出来上がりですから、とりわけ飾る場所を選ばなければなりません。
公家という居住空間が前提とされた有職造花ですから、生かすも殺すも、飾られる場所がどうしても問題になってしまうのです。 そうした宿命は、有職造花が現代に生きられない大きな要因になっていると言わざるを得ないようです。

太い絹糸の掛け蓬莱
太い絹糸の掛け蓬莱

屠蘇飾り
正月近くなると、雑誌などに屠蘇道具が載り始めますが、それを目にする度、様々な屠蘇飾りに興味惹かれていたのです。
松竹梅は定番ながら、有職造花で作るならば尚更、通俗に流れさせない事が肝心に思います。
松と橘だけの屠蘇飾りは、よりシンプルに垢抜けているように思います。

屠蘇飾り『屠蘇飾り』
屠蘇飾り

松竹梅の薬玉
京都国立博物館所蔵の『四季景物文様振袖』は、五節句飾りを文様とした手描き友禅ですが、七草籠や貝籠、梶の葉に鞠や数々の茱萸嚢など、五節句に因んだ様々な飾りを見ることが出来ます。
その中で、これを見た最初から私が惹かれてしまったのは、恐らく人日の飾りに当たるのでしょうけれど、松竹梅を真の薬玉のような形体にした薬玉文様なのです。
こんな薬玉が実際にあったのか甚だ疑問なのですが、松竹梅だけのことでパーツに特別なものが必要なわけでもなく、作り始めてしまえばさっさと出来たのです。
ゴテゴテさせて、図案の美感を損なってはなりませんから、梅などはとりわけ向こうが透けて見えようと、かえってそれを自然の事としたのです。
五色糸は、平薬用に淡路結びしたものを使ったのですが、本体の下で軽く束ねて12本を一筋になるようにしてあるのは、文様の趣を重視しての事です。
思いの外華やかで、人日の飾りとするにしろ正月に飾るのならば、掛け蓬莱よりもこちらの方が相応しいかもしれません。

松竹梅の薬玉
松竹梅の薬玉
松竹梅に椿の正月飾り『松竹梅に椿の正月飾り』

松竹梅に椿の正月飾り
上に載せた人日飾りから、薬玉を省いての正月飾りです。
陰陽道の原色による薬玉を好まれない方は多いようで、この正月飾りも薬玉の代わりに椿を入れられないかとの依頼で作った物だったのです。
とりわけ笹をふんだんに使い、椿も梅も、紅白に薄桃の三色。幾重にも重なった笹の下、僅かに覗けるように紅梅二輪を忍ばせて、春の到来を暗示させました。

人日の床飾り『人日の床飾り』

人日の床飾り
松竹梅の蓬莱飾りではありますが、早春の年中行事である小松引きを象徴させて、松竹梅の松を根引き若松にしてあるのです。
紙包みの向かって右上から斜めに差し貫き、左下にその根を見せてあります。
紅梅も淡い薄紅にして白梅と合わせた事で、若竹の黄緑ばかりか純金砂子や檀紙の白を上品に際立たせて、人日の飾りに相応しく仕上がったように思います。

節分飾り『節分飾り』

節分飾り
節分に、炒り豆を入れた升に載せる柊を有職造花で作れないかと問い合わせがあったのです。
あるに越したことはないのだけれど、臭いがあるから使えないと仰る鰯の頭は木彫り彩色にして、更に柊ばかりでなく、かつての習俗通りに大豆の殻も有職造花で作ってみたのです。
柊の葉の刺(トゲ)は、鋭く切り出した葉の先端を純金泥で塗ってあります。

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 上巳

花雛
花雛は、鈴木其一らの江戸琳派が描いていますが、立ち雛の頭の代わりに花を挿した、旧暦上巳の節句ならではの雛飾りです。
立雛の胴のことで、張りと強度が必要ですから、幣帛(へいはく)の紗と紅絹(もみ)をそれぞれ裏打ちして貼り合わせ、鈴木守一の絵を参考に松と藤花を描きました。
花は空洞の胴体に挿すだけのことですから、例えば紅梅白梅や白と黄水仙、連翹に桃花とかを一対にするなど、早春の花を使えば何種類もの花雛に出来るでしょう。

花雛『花雛』
花雛

曲水の宴の羽觴
曲水の宴は、宮中や貴族の屋敷で陰暦3月3日に行われた、和歌を詠み合う酒宴です。
庭園に設けた曲水に沿って、平安装束に身を包んだ参会者が座ると、上流から水に浮くように作った木彫彩色の水鳥の背に酒を注いだ杯を載せて流すのですが、それを羽觴(うしょう)と呼ぶのです。
元は雀の頭部や翼などに作られたものだそうですが、絵などで目にするのが水鳥形ばかりなのは、水に乗って流れる鳥というので、自然と雀と替わったのかもしれません。

曲水の宴の羽觴『曲水の宴の羽觴』
曲水の宴の羽觴

上巳の貝籠
尺三寸の官女に持たせる上巳の飾りとして、それに相応しいものを探すうち辿り着いたのは、五節句に因んだ飾り物や習俗を文様とした『四季景物文様振袖』という、幕末から明治頃に作られたらしい着物でした。
そこに上巳のものとして描かれているのが、潮干狩りでの貝と海藻を籠に入れた図なのです。
上巳の図柄に潮干狩りをモチーフとして描かれているのは、五節句を図案とした袱紗や色紙にもありますし、宮古島には今でも旧暦の三月三日の大潮の日、干上がった海に下りたって貝拾いをする風習が残っていて、どうやらそれは王朝時代の名残のようですから、貝や海藻を入れた籠を上巳の有職飾りとして間違いはなさそうです。
絵空事と言うべきか、着物に描かれた海藻を特定することは出来ませんが、有職文様の海藻といったら『みる』なのでしょうけれど、それによく似た海藻で、宮古島では『うる』と呼ばれて良く食卓にも載ったものを模して作ってみたのです。
貝は木彫り彩色で、サザエなどとりわけ可愛らしく出来ていますが、南の離島でもあるまいし、潮干狩りでサザエが獲れるはずはないものの、そこは飾り物のこと、他の貝の選択同様に色彩配分も含めた『見映え』を優先してのことなのです。
これは『上巳の貝籠』と呼んで然るべきものでしょうけれど、官女の持ち物として作ったものですから『節句人形の有職造花』に属するのですが、ミニチュア以外に節供の有職飾りとして制作することも無く、節供資料として役立つ事もあろうかと『七草籠』同様ここでお目に掛ける事にしたのです。

上巳の貝籠『上巳の貝籠』
上巳の貝籠
桜橘の平薬『桜橘の平薬』

桜橘の平薬
雛の節句に飾る平薬として、桜と橘を流水形に散らしてとの依頼で制作しました。
春夏の花での薬玉を作った折り、フラットという細かい縮緬のような絹生地を使った桜がとても美しく、これもそれで作ってみたのです。
既に黄ばんでいた生地を活かしながら、敢えて淡い色彩に染め、鏝当ても変えてふくよかに仕上げました。下花は、桃花と柳です。

桜橘の平薬

蛤の桜橘
雛飾りの定番でもある、貝合(かいあわせ)と桜橘を合わせた、上巳の有職飾りです。
左近の桜、右近の橘を捩ったものですが、不安定な蛤を安定させるために、白砂に見立てた工芸砂を敷き、その上に置いてあります。

蛤の桜橘
『蛤の桜橘』
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端午

真の薬玉
真の薬玉は、端午の節会に参内した者が下賜されてきたものですが、それがどんな形体だったのかは全く分かりません。持ち帰る際には、薬玉に付いた紐を肩と腰に回して抱え持つという決まり事までがあったようです。持ち帰られた真の薬玉は、九月九日の重陽節に茱萸嚢と交換されるまで、御殿の几帳や鴨居などに掛けられますが、結ぶ紐に困って薬玉の紐を引き抜いて使ったりしてしまうものだから、重陽節までには形も留めないという記載が枕草子にあり、それほど大切に扱われた物でも無かったようです。いずれにせよ意図からしても、こんな大掛かりな飾り物ではなかったようですから、文献に幾種類も見えるこうした形は、後年に装飾化されてのものなのでしょう。

真の薬玉
『真の薬玉』

幣帛による『真の薬玉』
時の天皇が伊勢神宮に奉納した五色の絹布を幣帛(へいはく)といいます。それが巡り巡って私に届けられたのです。
濃厚な染めは堅固で、これで真の薬玉を作ったらどうかと、七宝編みに包まれる薬玉から周囲の緑葉に至るまで、本体の全てを幣帛で作ってみたのです。

幣帛による『真の薬玉』
幣帛による『真の薬玉』

菖蒲兜
菖蒲兜は、檜兜を有職造花だけで模した、とても珍しい端午の節句飾りで、私も京都で1度だけ見たきりです。
鍬形や吹き返しなどの兜のパーツを、柏、ヨモギ、菖蒲葉など、端午の邪気祓いに使われる植物に替えているのです。
しかし、スッキリ当て嵌められては見えず、作ることなく来たものの、舞い込んだ制作依頼で一気に火がつきました。
端午の節句飾りは、垢抜けした格調で仕上がらなくてはなりませんから、先ず兜の見せ場である鍬形を勝ち草とされる沢瀉に替えました。
同時に、沢瀉の花を前立てに見立て、省かれていた頭上のダシを菖蒲にし、房やひもを紫に替えるなど、どんどん膨らむ修正案や助言を頼もしく制作を進めれば、行き詰る事もなく仕上がったのです。

菖蒲兜
『菖蒲兜』

菖蒲の蔓(あやめのかずら)
平安時代、端午の節会には菖蒲葉を装着しないと参内出来ない制度があり、それが菖蒲の蔓です。
男性の装着法は『九條殿記』の「九暦」に、「菖蒲ノ蘰造法」として「一、造菖蒲蘰之體 用細菖蒲草六筋、短草九寸許、長草一尺九寸許、長二筋、短四筋、以短筋當巾子・前後各二筋、以長二筋廻巾子、充前後草結四所、前二所後二所、毎所用心葉縒組等、」とあり、おおよそ「菖蒲蔓は、長さ九寸の菖蒲葉四本と一尺九寸の菖蒲葉二本で作るが、長い葉を巻き付けた巾子の前後四箇所に、心葉(こころば)着用に用いる縒紐等で短い菖蒲葉を縛る。」といった意味のようです。雛形を作って人形の冠の巾子に当ててみると、何と一尺九寸とは、ちょうど巾子を一巡りさせてまとめながら、葉先を巾子の外に少しばかり翻させる程の長さなのです。寸法の必然でしょう。又、長い葉を二本としたのも、短い葉を挟み込ませることで強度や美感をより叶え、また二本の短い葉を冠の後に縛るには、長い葉をも最後にまとめ留める役割を兼ねた合理性なのです。
女性が心葉を装着する際、多くは絹紐で玉髢に結びつけたでしょうけれど、儀式の際の男性が日陰の蔓を白麻によって冠に結びつけた例や色彩構成上、菖蒲葉も白麻で結ばれてこそ相応しかったのではないかと考えています。もちろん、これが正確な復元かどうかは断定出来ないものの、こうした端正さこそ端午の節会に相応しかったろうと思えるのです。

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 七夕

梶の葉と蹴鞠
七夕に相応しい有職飾りとしてこれ以上のものは無いのだろう『七夕花扇』ではあっても、官女の小道具として縮尺で作れば、前に置くにも些か大き過ぎたのです。
それに代わるものをと探せば、またしても中島来章の描いた『五節句図』にある『梶の葉と鞠』でした。
七夕に行われる蹴鞠では、先ず梶の枝につけた鞠と種々の供物を二星に捧げ、その後に鞠だけを庭に持ち出して蹴鞠を始めたのだそうで、真夏の炎天下に狩衣を着込めて蹴鞠をしようだなんて、どこに季節の必然性があるのでしょう。
しかし、その図は清々しいものですから、敢えて梶の葉を青緑の絹で作ってみたのです。
白絹に綿を詰めた蹴鞠は直径5cm。何もかも暑苦しくなるのを避けて、スッキリとした出来上がりを心掛けてみれば、これは結構お気に入りになったのです。

梶の葉と鞠『梶の葉と鞠』
梶の葉と蹴鞠『梶の葉と蹴鞠』(全長20cm)
有職七夕飾り『有職七夕飾り』(全長120cm)

有職七夕飾り
京都の七夕飾りで、三色の紙を重ねて長方形に二つ折りしたり、同じく正方形のを三角に畳んだ間に梶の葉を挟み、五色の糸を結び添えて笹に吊す慣習があったようですが、それを出典として檀紙の下に和紙二枚を撫子襲(ナデシコガサネ)にしてその間に梶の葉を作って挟み、五節句の七夕飾りとしたものです。
非常に地味なものですが、暑い盛りの飾り物ならその方が相応しいかもしれません。

有職七夕飾り『有職七夕飾り 2』

有職七夕飾り 2
上にある七夕飾りは、どこか腑に落ちず、満足も出来ない気持ちを消せませんでした。
依頼によって、同じように梶の葉を挟んだ飾りを作っているうち、突然思い付いたのがこれなのです。
五色糸が主役である以上、梶の葉は控え目な添え物とした扱いが相応しいでしょうし、葉は若葉にして全体像を見せた方が、王朝文化らしい美感を叶えるだろうと思い付いたのです。
梶の葉の形や檀紙の白が生かされもして、とても垢抜けた飾り物になったように思います。

有職七夕飾り 2

有職七夕飾り 3『有職七夕飾り 3』

有職七夕飾り 3
私にとって理想的な笹竹に、『王朝継ぎ紙』の短冊を下げた七夕飾りを作ってみました。
梶の葉よりも一般的ですし、涼しげな端整さに不足もないこの七夕飾りは、笹竹の種類からしても、実は私のお気に入りなのです。

糸巻きに梶の葉
織屋さんの廃業が相次ぐ西陣だそうですが、不要になった糸巻きを幾つも頂いたので、それに絹糸を巻き、大き過ぎない梶の葉をさりげなく置いた、簡素な七夕飾りです。
糸巻き自体の美しさ、情緒に頼った七夕飾りですから、梶の葉もでしゃばり過ぎないように、色も控えたのです。
引き出した糸の曲線で、糸巻きの記憶や織姫の思いを紡いで欲しいと思います。

糸巻きに梶の葉

七夕花扇
優雅な例として、旧暦七月七日七夕の朝、毎年御所には、ススキ・女郎花・桔梗・撫子・菊・萩・蓮という七種類の初秋の草花を扇状にまとめた「七夕花扇」と呼ばれるものが近衛家から届けられる習わしがありました。送り状を持つ下女を先頭に、丈三尺三寸(約1m)のそれを下男一人が抱え持ち、もう一人が傘を掲げた三人の使者によって届けられましたが、御所では日中鴨居などに下げ飾り、小御所の池の水面に星が映る夕刻ともなれば、そこに浮かべて星に手向けたのです。

『花使いの図』
『七夕花扇図』(約70cm) 『七夕花扇図』(約70cm)

住吉広定の描いた七夕花扇(奈良県立美術館蔵)を、紙包み共々出来るだけ図に忠実な復元を試みました。しかし絵空事のこと、一枚の紙からこんな紙包みが出来るはずもなく、図の通りにというのは無理なのです。七夕花扇は、花の種類や色が決まっているし、構成も単調で面白みに欠けるはずなのですが、作るのに億劫でないのが不思議です。ほんの少し花に隙間を与えてみたりすると、自然の息吹や違った趣が現れ始めます。尚、葉だけではススキと分からないため、数本の穂を加えました。

オリジナルの七夕花扇
『七夕花使い』の絵に残る七夕花扇から、花の種類だけを厳守して作った七夕花扇です。
紙包みの下方に、桐の板で最低限の土台を作り、それぞれの花を本来の茎の丈に仕立てて植え付けてあります。

オリジナルの七夕花扇
オリジナルの七夕花扇
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重陽

茱萸嚢(グミブクロ)
古代中国では、重陽節に呉茱萸の実の一枝を髪に挿し、高所に昇って邪気払いしました。その風習を模した有職造花ですが、本来“茱萸”とはあくまで呉茱萸(ゴシュユ)という、秋に小さな実をびっしりとつけるカワハジカミと呼ばれる植物のことで、このような春の茱萸のことではないのですが、既に江戸時代の書き付けには、それと知りながら装飾性重視で春の茱萸とする旨記されています。

『茱萸嚢図』(昭和初期雲上流作) 『茱萸嚢図』(昭和初期雲上流作)
『茱萸嚢』(約40cm)
小菊の茱萸嚢『小菊の茱萸嚢』(約40cm)

小菊の茱萸嚢
酒井抱一が描いた茱萸嚢図でも、その菊は小菊にされています。
違う用途で作った白黄二色の小菊をまとめてみたら、そのまま茱萸嚢の菊として使えそうだったため、早速茱萸と錦嚢を作って仕立ててみたのです。
華やかですからこちらの方が見映えはするでしょうが、もう少し花数を整理した方が良いでしょう。
画像では分かりませんが、木彫りした茱萸の実は緑から赤に色づいた感じに彩色を施してあります。

重陽節の菊籠
酒井抱一が描いた『五節句図』で、重陽宴の幅に、茱萸嚢と共に菊を活けた大きな瓶が見えます。
重陽節に菊を活けるのに、器が瓶でも籠でも構わないでしょうけれど、琳派の絵で竹籠に菊や桔梗をざっくりと活けたものもありましたから、それらを模して、作り置いてあった菊花を投げ入れてみたのです。

重陽節の菊籠
『重陽節の菊籠』
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五節句の三宝飾り

人日は、根引き松に紅白の水引。上巳は、菱餅に桃花一枝。端午は、飾り粽。七夕は、梶の葉に五色糸。 重陽は、茱萸袋です。飾り物は最大でも長さ四寸足らずですので、桃花や飾り粽の皐は出来上がりの直径が僅かに8㎜程度ですが、弁鏝の先端を使えば通常のサイズでするのと同じように鏝当てが出来るものです。飾り五つと三宝五台の組み物として一箱に収めるのですが、そもそもは尺三寸(立像の額まで39cmというサイズ)という大きな五人官女の小道具なのです。三宝は京都の指物師村山伸一さんの仕事で、一辺が二寸四分、高さが一寸七分程ですが、こちらで白塗りの後に純金泥で遠山を描いたのです。

五節句の三宝飾り『五節句の三宝飾り』
人日(根引き若松に紅白水引)人日(根引き若松に紅白水引) 12cm
上己(菱餅に桃花) 上己(菱餅に桃花) 10cm
上己(桃の花と菱餅) 上己(桃の花と菱餅)
端午(飾り粽)端午(飾り粽) 12cm
七夕(梶の葉に五色糸) 七夕(梶の葉に五色糸) 10cm
七夕(笹に短冊) 七夕(笹に短冊)
重陽(茱萸嚢)  重陽(茱萸嚢) 10cm
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四寸の折敷に置く五節句飾り

人日 掛け蓬莱、上巳 蛤に桜橘、端午 真の薬玉、七夕 笹に短冊、重陽 茱萸囊ですが、本体は二寸~三寸程です。

人日 掛け蓬莱 『人日 掛け蓬莱』
上巳 蛤に桜橘 『上巳 蛤に桜橘』
端午 真の薬玉 『端午 真の薬玉』
七夕  笹に短冊 『七夕 笹に短冊』
重陽 茱萸囊 『重陽 茱萸囊』
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五節句の桐板飾り

四季風鈴掛けで作った房から、ふと思いついた飾り物です。直径七寸の桐の板を揚巻結びした絹紐に下げ、その下方に朱の房を付けた掛け物としてみましたが、板が5枚あったので五節句を作っただけの事、何せ小さな丸ですので載せる有職造花もあっさりとまとめる必要があります。上巳は、定番の桜橘。端午は、菖蒲と蓬。七夕は、笹に短冊、重陽は、紅白平菊に茱萸の一枝をあしらい金泥で遠山を描きました。

『上巳の桐板飾り』『上巳の桐板飾り』(桐板の直径20cm)
『端午の桐板飾り』『端午の桐板飾り』(桐板の直径20cm)
『七夕の桐板飾り』『七夕の桐板飾り』(桐板の直径20cm)
『重陽の桐板飾り』『重陽の桐板飾り』(桐板の直径20cm)
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五節句の熨斗飾り

砂子の紙包みと五色紐による熨斗飾りで、五節句を作ったのです。
人日→松竹梅、上巳→桜橘、端午→菖蒲にヨモギ、七夕→笹に短冊、重陽→小菊ですが、スッキリと仕上がったように思います。

『人日』『人日』
『上巳』『上巳』
『端午』『端午』
『七夕』『七夕』
『重陽』『重陽』
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