薬玉には、『真』『行』『草』の三種類があります。邪気祓いを意図して、有職造花で構成された飾り物のどこかに必ず香を入れた玉を1つか3つ据えますが、それが薬玉で有職造花はあくまでもその装飾に過ぎません。
陰陽道による五色の絹紐を、多くは淡路結びして長く垂らすのを原則とします。
薬玉の代表格である真の薬玉は、紅白の皐月のみで本体を作り、菖蒲の葉とヨモギを下げます。
何れにせよ、端午の節会に下賜されたという薬玉が、およそこんな大掛かりな物とは考え難く、後年装飾的に構成された結果なのでしょう。
これは『貞丈雑記』にある薬玉図を基にして、演出を施した物ですが、五色紐は仮止めです。
尚『真の薬玉』は、『復元の有職造花』にも数種類載せてあります。
御所に伝わったらしい行の薬玉図案の復元品は『復元の有職造花』に載せてありますが、これはその図を基にして牡丹の数を減らすなど再構成してみたものです。
図そのものは、いい加減な模写(?)によるのですが、良く見ると有職造花の構成に円が感じ取れるのです。ずっと以前、芦屋の滴翠美術館に出掛けた時、図らずも行の薬玉が展示されていて、もっと花数も種類も少なく簡単に…と言ったら語弊はあるのですが、スッキリと端正に作られた好ましいその薬玉は、紅の絹に包んだ六角の板の上に平薬で使う籐の輪を置き、それに有職造花を挿したものだったのです。
この行の薬玉はそれを踏まえ、籐の輪に有職造花を挿してみました。その華やかさは通俗と紙一重なのですが、私はどういう訳か行の薬玉というのが得意の範疇で、時折無性に作りたくなる事が あるのです。
『行の薬玉』が何故六角形なのかも分からないのですが、どうやら陰陽道の五色(紫・白・赤・黄・緑)を、四季の花七種で表す決まりがあるようです。
それを叶えているならば、どんな花の組み合わせでも良いのではないかと、土台だけ伝統を踏んだオリジナルの『行の薬玉』に挑戦しました。
紫→菖蒲(春)・桔梗(秋)
白→ススキ(秋)・梅(冬)
赤→牡丹(春)・朝顔(夏)
黄→山吹(春)
緑→葉
有職造花の品格は保てたように思うものの、今一つ趣に欠けたため、後で桜を加えました。
◎18種の花を盛り沢山に構成した、行の薬玉です。
薬玉を入れての18種は、福寿草・椿・カタクリ・牡丹・藤・桜・菖蒲・山吹・卯の花・橘・蓮・常夏・菊・白桔梗・紅葉・水仙・紅梅白梅ですが、カタクリの花は、依頼者たっての希望でした。
夥しい数のパーツを前に、構成しきれるのだろうかと心配したものの、一度のやり直しもなく、出来上がったのです。
カタクリの制作は初めてでしたが、殊更小さく仕立てて、桜の根元にさりげなくひっそりと咲かせてみました。
この上なく華麗でありながら、真紅の六角台が額縁のような役割を果たすのでしょう、保たれた品位が、音楽のようなハーモニーを醸し出したようです。
草の薬玉は、一般的に薬玉と呼ばれる球形のもので、籐で作った球体に有職造花を配したものです。球体の中を覗き見ると、空洞の中に三つの薬玉が籠められています。この薬玉は昭和初期の雲上流造花のもので、完璧な技術とセンスの高さが見られます。節句用に桜の薬玉・橘の薬玉を雛の左右に下げ飾ったりもしました。
雲上流草の薬玉
昭和初期、雲上流の制作によるものですが、形体・色彩・技法など雲上流本来の様式が完璧に示された逸品で、珍しく桜や梅の蕊まで残っています。
籐で作られた球体に装飾的な有職造花を植え付けてありますが、空洞の中心近くには金糸で編んだ網を被せた薬玉三個が据えられています。
京呉服の老舗ゑり善様の逸品会用に制作したものですが、私にとっては初めての挑戦でした。展示会場メインの飾り物にするべく、籐で組んだ土台の直径を尺一寸(33cm)と大きな物にしたのですが、出来上がってみれば尺四寸(42cm)にもなりました。球の表面積はこれほど大きかったかと多少後悔もしましたが、出来てみればその華やかさに驚きながら、下品にならなかったことに胸を撫で下ろしたのです。メインの花は、牡丹、菊、椿の三種。それを配置した空間をツツジ、桔梗、小菊、桜、橘、撫子で埋めたのです。花数は1450近くにもなり、制作には一ヶ月を費やしました。
出来上がりの直径が七寸という小ぶりの薬玉ですが、春夏の花、秋冬の花の構成で一対にして欲しいという要望で制作したものです。とても面白いプランでしたので楽しんで作りました。
春夏の薬玉は、メインに牡丹、菖蒲、百合を置き、桜・山吹・皐月・橘・常夏(撫子)で埋めましたが、百合の制作は初挑戦でした。有職造花の範疇に百合が含まれる事は、昭和初期京都雲上流による花車に小さな百合が見えた事で知ったのです。下に垂らす花を藤にしたのは、是非にとの依頼者様の要望でした。
秋冬の薬玉は、メインに玉菊と八重椿を四方に据え、松に紅梅・小菊・紅葉・水仙・桔梗を散らしました。
下花の萩も依頼者様の要望でしたが、秋らしさの強調でススキも添えてみたのです。共に陰陽道の五色を基本にしてありますので、季節は違っても全体の色彩はさほど変わらないかと思います。
中央が空洞の木の球を作り、和紙を貼ってから桜橘のパーツを植え込んだのです。
赤紫黄3個の薬玉は、それぞれ3枚の柏葉を付けて外に据え、その高さまでで直径20cmになるよう、桜橘を植え込んだのです。
思いの外端正な仕上がりになりましたが、木の球にしたことで、無理なく花を植え込められたからではないかと考えています。
時の天皇が伊勢神宮に奉納した五色の絹布を幣帛(へいはく)といいますが、殆どその絹布だけで作った『草の薬玉』です。
花は、紅白の皐月のみ。三方に、赤黄黒の薬玉。仕上がりの直径は、35cm程です。
薬玉の本体を、真の薬玉に用いる皐月で埋めるには、何と160花も必要でした。
下に垂らす絹紐は、直径5mm長さ200cmの唐打ち紐が6色30本。それを円周15cmほどの筒に貼り付けて薬玉本体に埋め込んであります。
下げ花は、幣帛の黄と緑とで、一重の山吹です。
ふとしたきっかけから、もう十年以上前に依頼されて作った紅葉の薬玉が飛び出しました。
まだ球体の薬玉をどんな風に作ったらいいのかも分からない初挑戦でしたし、今とは染めも抜き型も違うなど、いったいどんな様だったのか冷や汗ものだったのですが、送って頂いた画像ではそれなりにまとまっていて、ともかく胸を撫で下ろしたのでした。
真夏の盛りの制作で、汗を流しながらなかなか埋まってくれない球の表面を、何度も何度も紅葉のパーツを追加しながら作ったのを思い出しました。何しろ紅葉は手を広げたようなものですから、幾重にも重ねないと空間が埋まってくれないのです。
実際に目の前にしたら、不満ばかりで見ていられないのでしょうけれど、恐らく二度と作ることもなく、初期だから出来ただろう薬玉として、お目汚しに載せてみることにしました。
昭和初期丸平大木人形店で誂えられた贅沢な雛人形ですが、ここでの桜橘は草の薬玉様式にしてあります。桜の薬玉と橘の薬玉をとりわけ豪華な紐を流して上部の空間を彩るものです。紐は畑甚(ハタジン)という名人職人によるもので、流れる曲線に例えようもない美しさと完璧な技術が見て取れます。