昨年11月に制作した、日本武尊ゆかりの霊験あらたかなアラカシ(粗樫)は、木の葉のみで有職飾りに成り立たせられた、貴重な体験だったように思います。
ただ、樫ばかりか雑木の葉は、本来包み込むように内側に反るのですが、葉脈として葉裏に針金を貼らざるを得ない造花の方法では、そこかしこに繁る雑木の葉ほど再現出来ないのです。
勿論有職造花は、厳密な自然の再現を目指すのではなく、造形も色も、自然界の成り立ちを厳守しながら様式美に替える世界で、そこに魅力も面白さもあるのですが、それはともかく私は、例えばアラカシのようなオリジナルを得意とする反面、雛飾りの桜橘に代表される、市販目的に同じものを幾つも作らなければならない有職造花となると、至極苦手で苦痛なのです。
先ず、萼、雄蕊、橘の実作りに針金貼りなどなど、本来下職に出される類のものまで全部自分でしなければならないのが気持ちの負担に過ぎて、当然良いものなど出来るはずもありません。
先月は、どうしても小さな桜橘を幾つか作らなければならず、その上480枚の橘の葉を手で切り出さなければならなかったりで、3週間も四苦八苦していたのでしたが、ようやっと解放されて、長い間の念願だった『掛け蓬莱』作りにウキウキしていた時、祭の山車に飾る長さ1mのガマの穂を10本作って欲しいという依頼が飛び込んで来たのでした。
聞けば、これまでは沼地とかに生えている本物を使って来たものの、このご時世で勝手に採れなくなってしまうし、直ぐに干からびてもしまうし、それで造花にしたいと願いながら、プラスチックの造花を使う気にはなれなかったと言われるのです。
30数店もに問い合わせの電話を掛けまくったものの、ガマの穂の造花を売っていたり、作ってくれる業者など全く見つけられず、とうとう食品サンプルの会社にまで聞いたのだそうですが、中には作れるけれど1本10数万円掛かると言われたというのですから、えげつない店もあったものです。
そんな挙句に、Google検索で私のホームページに辿り着かれたのでしたが、ガマの穂などお手の物ですよと答えれば、あまりにも無邪気に喜ばれるので、10本程度ならとつい引き受けてしまったのです。
長さ1mの葉を作るには、3本の針金を継ぎ足し、裏打ちした絹でサンドイッチするしかないのですが、それを50枚も作らなければなりませんから、そんな厄介な依頼を引き受けるなど、酔狂にも程があると笑われたのでした。
それももっともながら、実はガマの穂だけでは面白くないので、オオヨシキリという野鳥の木彫彩色まで付けたのです。
さて、それを引き受ける前に、正月の床飾りにしたいので、大和橘(やまとたちばな)という直径3㎝ほどの可愛らしい蜜柑のなる木を作って欲しいとの依頼も受けていたのです。
これには、大小の葉が500枚ほど要るのです。
神聖な木とされる大和橘だそうですから、ならばと幣帛(へいはく)という、今の上皇さんが伊勢神宮に奉納した生地の黄色が残っているので、それで作りましょうか?と提案すればとても喜ばれましたから、ガマの穂が出来上がるなり直ぐに取り掛かったのでした。
ちょうど庭の夏蜜柑が、たわわに実を付けているのを観察すれば、蜜柑は枝先に膨らんで垂れているのでしたから、大和橘の葉には有職造花の代表的な鏝当てを踏ませながらも、従来上向きに作る実を枝先に垂らすなど、自然の成り立ちを出来る限り取り入れたのです。
こうして一気に出来上がった大和橘でしたが、またまたそこに入った電話はといえば、常盤木(ときわぎ)という常緑樹を作って欲しいというのでした。
またしても大量の葉っぱなのです。
何でまたこれほど葉っぱに気に入られてしまったのかと考えれば、嗚呼!去年のアラカシに始まっていたのではないかと、ああ、それに違いない!と、とんだ『霊験あらたか』に、溜息しているのです。