白百合の一輪挿しをとの依頼がきっかけで、6月終わり頃から挑戦を続けていた百合作りでしたが、山百合から鬼百合と、新たな2種類を何とか克服出来た最後に、『笹百合』の一輪挿しをとの制作依頼が入ったのです。笹百合も初めて作ります。
去年の11月6日、白血病だった真っ白な猫が亡くなって以来、今だに毎朝、葬った庭の奥に線香をあげに通っているのですが、いつの間にやらそこに、背の高い大きな白百合が何輪も咲いたのです。
あれこれ、百合制作の試行錯誤を重ねてからの目でそれを見た瞬間、6枚の花弁は3枚ずつ貼り合わせられていて、その2組の花弁が互い違いになるように内外に重ねられている構造を見て取れたのです。
あゝ、鉄砲百合の形態ならばそういうことだったのかと、早速花弁が貼り合わせられるよう糊代をつけた型紙を起こし、それで『笹百合』を作ってみれば、たった1回の作り直しで好評に仕上がり、自分でも満足出来たものですから、漸く1ヶ月半程悪戦苦闘した百合制作に、幕を下ろせたのでした。
それからも一輪挿しを1本というささやかな制作依頼ばかりが続いたのですが、その中に『高野槙(コウヤマキ)』と『菖蒲草(アヤメグサ)』をという、初めて作るものが2つ舞い込んだのです。
高野槙と菖蒲草がどんなものなのか知らないので、高野槙を造園業の友人に尋ねてみれば、秋篠宮の息子のお印なのだそうで、それはともかく実物を見せてもらいに行くことにしたのです。
しかし、お盆が入ったりで上手く日程が組めないでいるうち、色々な角度から撮られたネットの画像を片っ端に漁っていると、一輪挿しにする程度の高野槙一枝でも、幅3㎜程の葉が160枚も必要なのだとか、形態やその成り立ちが何とか把握出来たものですから、根気よく制作に掛かって、本物を見に行く前に、思いのほか気に入った一枝が出来上がってしまったのです。
菖蒲草は、花1つに葉を4枚という依頼でしたが、葉の間に見える、太さ1㎝程の小指の先のようなものの表面が極小の花の集合体らしいので、菖蒲草自体の素朴な印象に従い、縮緬をうっすらと黄色に染めて、その表面の凹凸を花に見立ててみたのです。
さてその次は小菊と曼珠沙華。双方とも以前何度か作って珍しくもないので、より秋を演出するために、黄菊には以前から作ってみたかった『吾亦紅(ワレモコウ)』を添えてみたのです。
吾亦紅は、桐のおが屑を糊で練って丸め、針金を差し込んでから乾燥させ、岩絵具で彩色して作ったのですが、おが屑の質感が吾亦紅を彷彿とさせて、なかなか面白く出来上がりました。
そうやって一輪挿しを次々と仕上げ終えた最後は、小菊を野にあるように植え、その前に金襴を貼った枕と唐団扇を添えて、お能の『菊慈童』に見立てた重陽飾りをという依頼だったのです。
唐団扇は、総丈僅かに8㎝。二つ割した木材に溝を掘り、厚紙に絵絹を挟んで2枚重ねした団扇の縁を組み入らせてから貼り合わせて、胡粉塗りと岩絵具彩色。絵絹には、鳳凰の絵付けを施したのです。
こうして、それぞれ1本ずつの納品という、数からしたらささやかな制作だったものの、種類はと言えば6、7種類にも及ぶ、有職造花への深い理解とセンスに溢れた依頼でしたから、とても楽しませて頂きました。
それにしても、この暑さはいつまで続くのでしょう。
今日の熱さを確実に予告する夜明けの光を嫌がらせのように感じて、鬱気味になるまで気を滅入らせてしまっていたここ数年と違い、今年は同じ予告の連続と更なる熱さなのでありながら、どこかで平気でいる自分に驚いているのです。
確かに今年から、あまりに熱いとエアコンを使い始めはしたのですが、それも僅かに数日のことで、常は扇風機に当たるだけなのに変わりないのです。
大きく違ったことは、宅急便以外に突然の訪問などさほど無いのと、木の茂る庭の恩恵で近所の目など気にせずに済むため、短パンだけの裸でいるようになったことでしょう。
南方熊楠や熊谷守一に仲間入りしたなどと言ったら顰蹙を買ってしまいますが、いよいよ浮世から外れるのを一種の悟りとするなら、悟りとは何とも楽で涼しいもんです。