およそ130種類もの花や葉を有職造花にして来たのですが、それでも先日、毎月の瓶子飾りを納めさせて頂いている方から、思いも掛けない植物での制作依頼があったのです。
何と、『宿り木』を有職飾りにして欲しいと言われるのでした。
宿り木といえば、葉の落ちた桜の木に、ゴミが丸まって引っかかっているような、何とも目障りで不気味な印象ばかりなのですが、何故か西洋では聖なる木として扱われていて、オペラでもそうした存在で登場するのです。
イタリアオペラにおいてM.カラスの登場は、BC AD(紀元前、紀元後)をもじって、BC AC(Before Callas 、After Callas)と称されるほど、イタリアオペラを根底から覆すほどセンセーショナルだったのですが、そんなカラスのレパートリーの中で、絶対的な地位を不動にするのが、V.ベッリーニ作曲の歌劇『ノルマ』なのです。
ノルマという、卑弥呼のような存在の巫女が、いかにもプリマドンナの登場に相応しい、威厳と華やかさを叶える行進曲めいた音楽と共に舞台に現れるのですが、その後国の安寧を祈願する儀式で歌われるのが『Casta Diva(浄らかな女神よ)』という、ベルカントオペラの頂点にあるアリアで、白銀の月の下、手にした鎌でノルマが刈る神聖なる枝こそ『宿り木』なのです。
宿り木を作るため、その形状やらを調べて初めて知ったのですが、宿り木には白い球の種子が沢山実るのだそうで、それをヒレンジャクという野鳥が好んで啄むのだとか。
折角ですので、宿り木の有職飾りにはヒレンジャクを組み合わせる事にしました。
ずっと以前、オオデマリの平薬を作った時に、ヒレンジャクだったかキレンジャクだったかと組み合わせた事があって、その独特な羽色の彩色にえらく手こずらされた苦い経験があるのですが、今度はそれどころか、宿り木という、ただでさえ奇妙で不気味な代物を、いったいどうしたなら有職飾りに仕立て上げられるものかという問題に、先ず解決の糸口すら見出せずにいたのです。
宿り木の写しとして、ゴチャゴチャ絡んだ丸い鳥の巣のような塊にしたならば、リアルに過ぎて有職造花の飾り物として成り立たないでしょうし、そんなこんなシミュレーションにも進めない状態でいたのでしたが、ふと『啄む』という野鳥の動作が頭を過ったのです。
ああ、宿り木の枝を整理してスッキリまとめるのを良しとするのならば、ヒレンジャクの止まる脇枝の付いた幹を探し、それに宿り木を生やすだけで、これまで依頼者に納め続けて来たような、瓶子飾りの一輪挿しになり得てしまうだろうと、いきなり目の前が晴れたのでした。
ヒレンジャクの木彫りは何ということもないのですが、ただでさえ苦手な彩色の上、何しろヒレンジャクなど見たことがなく、およそ実感というものが掴めないまま、何時もながらの岩絵具との格闘は、仕上げるには仕上げての荷造り直前まで続いて、薄い色を重ねていたのです。
さて、庭の紫苑もすっかり咲いて、ようやっと猛暑の夏にとどめを刺したような風が渡り始めました。
そのはずなのです、9月など既に何日も残っていないのですし、もう10日もせずにツクツクボウシの声も絶えるのでしょう。
しかし、あれほど閉口していた夏が逝ったと知るなり押し寄せる、このわけのわからない空虚さ、寂しさは、いったい何故なのでしょう。
『D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?』
『我々は何処から来たのか?我々は何者なのか?我々は何処へ行くのか?』
知りませんよ、ゴーギャンさん。
とにもかくにも、無事に夏を見送り、宿り木の有職飾りも仕上げられたことだけで、今はやれやれ、良しと致しませう。