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■ 近頃のこと

2025/07/18

山百合を作る

その昔、田んぼの端にくねくねと通学路が通っていて、学校まで半分ほどの所にあった踏切の先は、両側が高い崖の切り立つところまで登る坂道で、それは山を削って通した新しい通学路だったのです。

切通しというのか、その道は中学に入った頃だったかに、地元の市会議員の発案で出来たのでしたが、それまでは卯の花がびっしりと茂ったりした線路沿いの細い道を通って、他の地区からの通学路にもなっていた、車も通れる道に合流するのを短縮したという触れ込みだったのです。

しかし、近道というのは名ばかりで、そもそも最初から売名行為の発案だったのでしょう、とにかく中途半端な工事で、急勾配の砂利道を300m近くも自転車から降りて登らなければなリませんでしたし、一日中鬱蒼として暗く、人里など遥かに離れているのですから、助けを呼んでもこだまにもなりません。

勿論街灯などある筈もない山道を、薄暗くなってからすら1人でも通っていたのですから、今からしたら、よく事件が起きなかったものだし、学校側もあんな道を女子や小学生まで通学させていたものだと思うのですが、それだけ平和で呑気な時代だったという証明なのでしょう。

さて、山道を登る右側のそこかしこには、幾つもの山百合が咲いたのです。

登校時まで朝靄が晴れない時など、道を進むごとに白い靄の中から、1本の茎に幾つも花を付けた山百合がフワッと現れて幻想的なものでしたが、私にとっての山百合というのは、その時に植え付けられた印象が強いのです。

毎月の一輪挿しをとの依頼で作ってきた、8月分の有職造花が白百合のご希望だったものですから、随分久しぶりに百合を作ることになりました。

白百合は、以前2回ほど作っていたのですが、オーソドックスな鏝当ての花弁を作って完成はさせたものの、何だかそれにまるで飽き足らず、もう一組の分は、花弁の先端に強く一筋鏝を当てて反り返させてみれば、山百合の花びらのような雰囲気に仕上がってしまったのです。

この方法ならば、ずっと以前に一度だけ挑戦してどうにもならなかった山百合が出来るのではないかと、図らずも山百合制作に火が点いてしまいました。

山百合は、白百合のようにつぼんだ先端が花開くというのではなしに、つけ根まで開いた状態に作れなければならないでしょうから、それが甚だ厄介なのです。

真っ白な花弁には、中央に鮮やかな黄色があって、その両脇に紅の点々があるのですが、それがまた難しいのです。

点々の位置に規則性があるとも思えないのに、変化がなければ物足りない、多ければうるさい、少なければ間が抜ける。岩絵具を使ってそれらしく点々を置いてみても、山百合ならではのオーラがなかなか漂ってはくれません。

まず材料を上等な丹後縮緬変わり織にして、中央を黄色に染めた薄絹を貼るとか、暈し染めにしてみるとか、花びらの裏にも一越(ひとこし)という細かな縮緬を貼る、針金も根元に少しだけにしたり、花びらの中央に上下通して貼ったり等々、60枚以上の花弁に何度も試行錯誤しているうちに、何とか様になって思えました。

しかし、あくまでも有職造花のことですから、自然の成り立ちを写すだけではならず、鏝当てにしろ様式化されて完成されていなければなりませんので、結局リアルさよりも、多少きつい色合いと鏝当てになる仕上がりを完成としたのです。

それにしても、あの山道はいったいどうなったのでしょう。

私が中学を卒業した翌々年には廃校になりましたし、その後小学校までなくなってしまったのですが、それ以前にあんな物騒なだけの山道など、とっくに誰も通らなくなったのでしょうけれど、今でも朝靄の中にポツンポツンと幻想的に山百合が花開く青白い光景が、頭の中に浮かんで来るのです。

白百合

山百合アップ

山百合

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