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■ 近頃のこと

2025/11/28

愛おしき舞楽

最も新しいものは最も早く古びるとは、法隆寺の五重塔と東京タワーを引き合いに出して言われますが、殊更ファッションときたら、最も得意でいたものが、最も恥ずかしいものに変わってしまうという典型でしょうけれど、それが近年ほど、見掛けだけのあざとさを、その都度の思いつきだけで繰り返しているように見えるのです。

数年前、初めて青山通りなる所を歩いたことがあったのですが、すれ違う方々が尽く、頭の先から爪先まで、最新の物を追いかけている風で、確かにその時点では垢抜けて、時代の先端を謳歌闊歩しているようにすら見えたのです。

しかし同時に、同じ物を何度も身につけて人目に晒すなどあり得ないのでしょうから、後から後から古びてゆくスピードに遅れず新調を続けるのに、一体どれだけの費用が要って、それが収入のどれ程を占めるのか、そうした繰り返しに対処出来るほど収入が得られているものなのだろうかとか、他人事に過ぎず、またよくよく余計なお世話でしかないながら、そのやりくりには野次馬の心配を募らせてしまったのでした。

それが、『今』に踊らされているだけの浪費と感じてしまう側の言い分など、所詮は水と油の骨頂でしかないでしょうけれど、流行に乗るとは、多く『世の流れに右に倣えをする』ということで、根本は『どう見られたい』かという、他人の目本位の自らを肯定するばかりか、『私自身はオリジナリティも創造性も持ち合わせない』と公言しているように思えてしまうのです。

極端な例には違いないのでしょうが、1980年代アイドル全盛期に、彼ら彼女らが、どこに行くにも押し着せられていたステージ衣装の滑稽さといったら、安物仕立てならではの軽薄極まりない色彩と、ひたすら媚と奇をてらっただけのデザインで、ただただ呆気に取られるばかり。

しかもそのセンスが、『最先端』だったという滑稽さに、見ているこちらが冷や汗させられる馬鹿々々しさなのですが、どう見られたいのかを基本にした流行への追いかけなど、所詮は用意された衣装を纏っていたアイドルと同じことに思います。

とはいえ、流行に最低限沿っておくのは、世間の目に埋もれさせるのに最適な方法なのだし、そもそも初めから『流行り』と位置付けられていて、お前も同じようにしろとか強いられているわけでもありませんから、それをとやかく言うこともないのでしょうけれど、見た目ばかりを追い求めたり、新しいものばかりを有難がるほどに、長い歴史の積み重ねによって成り立った、伝統的なものをほど追いやって意にも止めないでいられる、その価値観や生き方が招く将来が恐ろしいのです。

しかし、いつの時代でも、似たり寄ったりそうやって変わってきたのでしょうから、それこそ必然というものなのでしょうし、将来を見届けられるほど余生もありませんから、実はどうでも良いのです。

よく京都の方と話すのですが、そもそも私たちなど、装束や有職造花をはじめとした、時代に消え失せようとしている、ことごとく一般の方々が気にも止めないばかりか、それが無くなろうと社会に何の影響もないものにばかりに魅了され、更にそれが無くては人生が成り立たないという、希少な存在に違いないのですから、そこに理解や賛同を期待すること自体が間違っているわけです。

さて、そんな絶滅寸前派に寄せられる要望といったら、専門性の特殊さを裏付けて下さるようにマニアックなものが多いのですが、今回舞い込んだ依頼は、舞楽の『青海波』と『五節舞姫』の立像を男雛女雛にした親王飾りをといわれるのです。

舞楽とは雅楽の一種で、楽器の演奏に合わせて舞人が舞うものですが、その装束やその付属品は、形体から色彩から極めて特殊であるほど興味深いので、早速『青海波』で頭に被る鳥兜(とりかぶと)と、沢山の赤房で飾られた脛当てを作り始めれば、後から後からプランが湧き上がり始めてしまいました。

すると最早、流行がどうのとかボヤいていたのが、アッという間に古び干乾び消え失せて、あたかも水を得た魚の如く、勝手に動き始めた手は止めようがなかったのです。

足

脛当て

鳥兜

鳥兜

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