冬至を迎えた庭の物干しに、今朝も早くから沢庵漬けにするための大根を44本干して来ました。
干し始めてからもう3週間になるので、大分曲がり始めましたが、私が漬ける沢庵は古漬けにするものですから、軽くU字になるまで、まだ1週間は干さなくてはなりません。
昔は、家の畑の大根を一家をあげて洗い、納屋の軒下に干したりしたのでしたが、そうやって漬けた沢庵は、1ヶ月ほどで瑞々しい黄色に漬け上がって、1月内には待ち遠しかった食卓に登ったものです。
その数本が、漬物樽の底に残っていたりすると、それを薄く切って塩出ししたのを真夏に食べられた年があったのですが、すっかり酸っぱくなった古漬け沢庵をつまみながらのお茶漬けがやたらに美味しかったのです。
よく食べ過ぎては胃を悪くしたのですが、私はその酸味を半世紀以上も忘れられずにいたのです。
農家ですら、自宅で沢庵を漬けることなどなくなった世代交代が現状でしょうし、漬けられたところで、もう随分前から早漬けの甘いものが主流になり、そもそも保存食ではなくなってしまった沢庵ですから、市販の沢庵など論外に古漬けにはならず、思い出の味などとうに口に出来なくなってしまったのです。
それ故、もう5年ほど前からになるのですが、いよいよそれを食べたくなって、ならば自分で漬ける他はないとなった経緯も酔狂でしょうけれど、師走に漬けた沢庵を出すのが来年の10月ときたら、もはや執念の類に聞こえるかもしれません。
漬物の経験の積み重ねなど全くなかった自作の沢庵でしたが、奇跡的なほど上手く漬け上がったものですから、それ以来毎年漬ける本数を増やしながら来て、とうとう今年は44本になったのです。
さて私には、まるで手に入れる術もなかった魅惑の郷土料理が幾つかあったのですが、ただ憧れる以外にどうにもならないでいた、その地域ならではの伝統的保存食・郷土食の最たるものといえば、近江の『鮒寿司』なのです。
鮒寿司(ふなずし)は、琵琶湖で獲れるニゴロブナ(子持ちフナ)を塩漬けにし、炊いたご飯と一緒に乳酸発酵させた、日本最古の寿司とも言われる、滋賀県の伝統的な保存食・郷土料理です。
独特の強い酸味と発酵臭(アンモニア臭)が特徴で、骨まで柔らかく食べられる、ハレの日のご馳走だったのですが、京都で『すぐき』が好かれなくなったのと同様に、 洋食が家庭の食事に行き渡り、又、飽食の極まった今では、そうしたものを程好む者が激減して、琵琶湖ならではの食文化というのに、時代に消え失せようとしているのです。
それが何ともヒョンとしたことから、琵琶湖の漁師さんの家で漬けられた鮒寿司を口に出来る機会が舞い込んだのでした。
私の京都の知人が近江のお宅と親しく、その家のお爺さんが琵琶湖の漁師さんで、鮒寿司も作っておられたそうでしたが、そのお爺さんが亡くなるなり、鮒寿司を好む者がいなくなったばかりか、残された鮒寿司を冷凍庫に入れておくのも嫌だとまでなってしまったというのです。
それで、私の京都の知人に食べて貰えないかと持ち掛けられて送ってもらったところが、知人夫妻の口には合わず、さりとて捨てるわけにもいかずにいたところ、私が鮒寿司に叶わない憧れを持ったままでいるというのを聞くなり、願ったりのものがあるからと、数10匹の年代物が即座に届けられたというわけです。
とうとう口に出来たその味は、最初こそ少し戸惑ったものの、癖の強い独特の酸味でも、とりわけオスの方が鮒そのものの味わいが深いように思えたり、直ぐに禁断症状のような病みつきに変わるのに時間は要りませんでした。
私の古漬け沢庵は、10ヵ月も強い重しのままで置かれますから、鮒寿司同様にペシャンコになっているのですが、それを薄切りにして3、4分塩抜きして固く絞り、それに日本酒と味の素、それに一味を振りかけ揉んで食べるのです。
そんな沢庵を好む方など殆どいませんから、独りで楽しんでいるうち、今更ながらハッと気付けば、その酸味は鮒寿司のものと酷似しているのでした。
更に、鮒寿司も古漬けの沢庵も、双方そのもの自体の味わいに留まらず、その酸味が他の食材の味まで引き立てるという共通点があったことにも直ぐ気付かされたのです。
鮒寿司を受け入れられたばかりか、その酸味に禁断症状すら覚えたというのは、古漬け沢庵を自作してでも食べようとする私なら、至極当たり前だったということなのでしょう。
その鮒寿司も、とうとう冷凍庫に2尾ばかり残るだけになってしまいましたが、この2尾は間違いなく私が味わうことの出来る、生涯最後の生粋の鮒寿司になるのだろうことを考えると、どうしても解凍の手が出せないままでいるのです。
さてさて、今年も暮れようとしています。
今時有職造花などに興味を持たれて制作を依頼される方々ですから、そのご希望はマニアックが当たり前で、小品ばかりとはいうものの、それ故に今年はとりわけ多彩な有職造花を一際楽しんで作らせて頂けたのです。
冬至を過ぎれば、また日が伸び始めるわけですから、自然のサイクルにどんどん付いて行けなくなるばかりですが、さて来年はどんな年になるのでしょう。
とにもかくにも、『人生下り坂最高』を存分に謳歌させて頂くことには致しませう。