今までに、実際の婚礼用や雛小道具として、銚子飾りやら嶋台やら、有職造花が使われる多くの種類の婚礼用具を制作して来ました。
戦前の婚礼関係本の僅かな挿絵にあった婚礼用具まで、興味のままに復元を試みたりまでしましたが、京都で誂えられた婚礼用具の写真を目にした瞬間に心惹かれながら、以後20数年も作ることなくていたのが、『海老盛・鴨盛(えびもり・かももり)』なのです。
大きな嶋台の左右に置かれた、その見たことも無い1対の婚礼用具は、最初伊勢海老しか分からなかったものの、私は即座に魅了されてしまいながら、その後、同じ種類の婚礼用具の実物を見ること叶わず、とりわけ鴨の形態を知ることが出来なかったのです。
海老が用いられたのは、夫婦が末永く健康で、腰が曲がるまでも添い遂げられるようにという、民謡の歌詞にまで見る通俗な謂れからで、鴨はといえば、一度つがいになると一生添い遂げるといわれる水鳥にあやかり、和合(仲良し)の象徴としたのと共に、必ず帰る渡り鳥の習性から、嫁いだ先にしっかり根付くようにとの意味なのだとか。
ともかく海老盛とは、2尾の伊勢海老の飾り物で、周囲を笹竹で囲み、紅梅か白梅を背負わせ、金銀の水引で飾ったそれぞれを脚付長折敷(あしつきながおしき)に置き、それを1対にして1台の三宝に載せた婚礼用具なのです。
鴨盛もまた、海老盛同様に2羽の鴨をそれぞれ脚付長折敷に置き、笹で囲むのも水引で飾るのも同じなのですが、背負わすのは若松なのです。
その2台の三宝を1対にして、結納や婚礼の床の間に置くのですが、私が最初に『海老盛・鴨盛』を見た写真というのは、昭和初期に丸平大木人形店が誂えた婚礼用具を著名な写真家が撮影したのもので、さすがに五世大木平蔵時代のプロデュースというべきか、通俗性など微塵も見られない格調と完成度の高い、紛れもない工芸品なのでした。
有職飾りの範疇のことですから、どんな材料や細工で作られているとかは経験で想像出来るのですが、写真に残されたものの復元となると、有職造花は言うまでもなく、伊勢海老の木彫彩色なら何とか出来るのですが、形も見て取れない鴨ばかりか、水引の結び方は分からず、写真ではその水引をどこにどう付けているのかも分からないのです。
そんな有様では、所詮写真を参考にした私水準のオリジナル止まりで、写しとか復元と言えるものなど出来るはずもありませんから、復元の対象から外れたまま、いつの間にやら20数年が過ぎていたのでした。
前々回の『近頃のこと』で、ちょうど4年前に、嶋台、肴台、24種の銚子飾りを息子さんの結婚に備えて揃えられた方が居られ、その息子さんの結婚が決まったのを機に、新たに瓶子飾りを加えられた話を書きましたが、それらを床の間に飾った画像が送られてきたのを見た時、やはりここに『海老盛・鴨盛』を並べたいとの思いが、無闇に強く湧き上がってしまい、制作の背中を一気に押されてしまったのです。
もう、写しも復元もどうでもよい、今まであれこれ躊躇していたことなどサッサと吹き飛んでしまって、どうしても作りたいという思いばかりが残ったのです。
先ずは、とりわけ形態の分からない鴨を済ませてしまおうと、前におぼこ官女の小道具として作った羽觴(うしょう)の鴨を参考にして始めれば、相変わらずうんざりさせられるばかりの画才の欠如で、彩色にはよくよく難儀したものの、周囲に笹を植え、10本水引での淡路結びを鴨の首筋に固定し、若松を背負わせれば、何とか『鴨盛』らしく仕上がったのです。
『海老盛』は、伊勢海老の頭にあるトゲを濃く解いた胡粉でツンツンに置き上げ、岩絵具による彩色もより様式的に済ませれば、制作は実にスムーズに運んで、あれよあれよという間に仕上がってしまったのでした。
ところが、それを据えるべき脚付長折敷が見つけられないのです。
何しろ、長折敷の短い方を正面にして、長い方に高い脚を付けた長折敷など市販されていないらしく、ここまで出来てから実に悩ましい話なのですが、脚のない長折敷を手に入れ、脚にする檜の板を別に用意し、寸法に合わせて自分で切り、貼り付けて作るしかないようなのです。
仕方なく三宝に直接載せたのですが、それでも目を見張るばかりの華やかさ、瑞々しさに驚かされながら、自分で作っていておかしな話ではあるものの、私は『海老盛・鴨盛』の実物をここに初めて目前に出来たのでした。