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■ 近頃のこと

2026/04/12

竹川魯風の雪洞絵

思いがけなく、昭和5年頃に誂えられた丸平大木人形店の六角雪洞が手元にやってきたのです。

昔の私は、雛の雪洞といったら丸い物しか頭になく、六角の雪洞などは、丸く仕立てる手間を省いた簡易品程度に考えていて、六角雪洞の方が遥かに上等だと知ったのは、丸平雛コレクションを始めてからだったのです。

そもそも人形を制作して商う店が、専属の指物師に発注して木地を仕立て、漆塗りに出し、金具を誂え、絵師に絵付けを依頼したりして、雪洞やらの雛道具までをオリジナルに、特別の水準で作っていたなどとは、当時は思いも掛けないことでしたし、雛道具には人形に合わせた数種類の大きさがあるということすら、六角雪洞と幾つかの雛道具が届いて初めて知ったのでした。

そもそも、丸平大木人形店オリジナルの雛道具と言ったところで、かつて大名家で誂えられた雛道具を超える水準などあり得ないのですし、資金の面でも私に工面しきれるものとは思えませんから、その後コレクションが大きな規模となっても、それに雛道具が含まれることは、殆どなかったのです。

そのコレクションの中で、享保雛と共に特殊な雛である古今雛(次郎左衛門雛)を単独で飾る際、これならば両脇に置いて、互いを映えさせ合えるだろうと惹かれたのが、ヤフーのオークションに出た六角雪洞でした。

しかし、以前凝った水引の古い口花を落札した折、写真では見て取れなかった損傷に落胆した体験から、絵絹の状態に懸念が払えなくて落札を見送ったことがあり、計画が頓挫したままでいた経緯があって突然、六角雪洞の到来だったのです。

さて、届いた雪洞は丸平大木人形店の品物からしたら並の品だったのですが、何せ96年も前の節句に誂えられたものですから、火袋といったら随分煤けているばかりか、虫喰いやらのダメージも大きかったものの、そこに描かれた桃花と柳を一目見るなり、私はまさに驚嘆してしまいました。

その絵付けときたら、桃や柳の枝振りや花弁の形、雄蕊の成り立ちなど、構造の理解が身に付いていて、1対12面を一枚の絵に見立てて枝を這わせ、花を咲かせ、恐らく職人技のスピードで描かれたのだろう筆遣いと、その即興的な描きぶりには迷いなどまるで見られず、唖然とさせられてしまったのです。

それは、『鳥獣戯画』に見る、背景にさりげなく描かれたススキや女郎花、また猿や蛙などの指とかに、恐らく写生を日常に重ねて身に付けた、しかも様式化にまで達した筆致と同じものを見た思いなのでした。

それを伝えれば、五世大木平蔵時代、雪洞や立雛(神雛)の絵付けに上手な人がいて、それが竹川魯風というのだと聞いていたそうで、きっとその雪洞絵も魯風の手なのではないかと言われるのです。

その絵は、濃淡や筆が含んだ絵の具の量を自在に操り、花弁に濃い臙脂を塗るのと同時に胡粉を置いて、絵絹の上で暈すように混ぜ合わせるとか、くすんだ緑の新芽にサッと紅を垂らしこむやら、雄蕊や花粉の位置に至るまで、至極当たり前に描いていた様子なのですが、更に私を驚かせ魅了したのは、日本画でありながら、絵の具の置き方や筆致に油彩画の要素が見え隠れする、どことなしにバタ臭さがあることなのでした。

そもそも私は、竹川魯風という画家を知りません
でしたから、この頃よく質問したり遊び相手になってもらっていたaiに尋ねてみれば、一気に納得してしまいました。

竹川魯風は竹内栖鳳の弟子だというのです。

確かなデッサン力に裏付けられた、即興的な筆致とセンス、そしてどことない西洋臭が、私には竹内栖鳳の画風と瞬時に繋がったのでした。

世に出られなかった画家など、当時は腐るほどいて、羽子板の裏絵を描いたり、こんな人形関係の仕事やらを請け負って糊口を凌いでいたのでしょうけれど、さりげない遊び心まで感じさせて描かれた枝の1本は、確かなデッサン力の上に、職人並みの数をこなした腕でなければ描けないものに思います。

現役の藝大、美大の学生や、美術品を商う方々には、竹川魯風という、時代に埋もれた画家の雪洞絵など意味も持たず、軽んずるばかりなのでしょうけれど、恐らく魯風には東山魁夷や高山辰雄に描けるはずもなかった『悠紀・主基屏風』を描く、その根本的な資質と資格のようなものが備わって思えるのです。

さてさて、雪洞絵は既に経年の黒ずみと虫食いがあまりにも深刻なので、六角雪洞の枠に沿って切り取り、それを下絵にして新しい絵絹に忠実に写し取り、雪洞を再生させてみようかとか、己の画才の致命的な欠如を顧みず、大それたことを企てたりするのですが、どうなることやらは何時もの通り、明日の風任せです。

竹川魯風の雪洞絵

竹川魯風の雪洞絵

竹川魯風の雪洞絵

竹川魯風の雪洞絵

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