この11日で、母が亡くなってまる10年が過ぎましたが、全く記憶の出来ない認知症で、一晩に30数回に及んだトイレ介護を思い返すと、今でも辛い気持ちに襲われます。
ところが、そんな自分がこの頃とみに物忘ればかりで、誰に何をどこまで話したかとか覚えていず、この『近頃のこと』にも、そこかしこに同じことを書いていたりするのです。
これも以前に書いてはいるのですが、親しく交流させて頂いた、江戸風俗研究の第一人者であった故花咲一男さんから、『息子というのはおかしなもので、母親の変なところほどを受け継ぐらしく、それが歳を取るほど顕になって来るから、これから楽しみにしていてご覧なさい。』と言われたのです。
記憶を維持出来ない認知症が『母親の変なところ』の一つで、それを否応無く受け継いでいるのだとしたら、切実に堪ったものではないのですが、どうもその傾向ばかりが明らかになるようで、每日タイマーを頼りに生活している情けなさには、日に何度もつくづくため息を漏らしてしまいます。
...とそんなわけで、これから書く楠(くすのき)との出会いや思い入れも、確か『近頃のこと』のどこかで書いた覚えがあるので、先ずは繰り返しになる言い訳をしておくことにしたのです。(笑)
楠と出会った最初は、神奈川県逗子市にあった父親の会社の海の家で、あてがわれた部屋の窓のすぐ近くに、そこから飛び移れる大きな楠の幹が上と斜めの二股に伸びていたのですが、どうしたわけかその木に、包み込まれるような、大らかな親しみを感じたのでした。
それから40年以上も過ぎたある年、私の影響で南方熊楠を研究の一つにしたという若い学者の友人が、和歌山県田辺市にある熊楠資料館の企画展を任されたというので、同行して初めて和歌山の地を踏んだのですが、彼の運転する車から見る山のそこかしこに、楠の葉の黄緑が点在していたのには、熊楠が守ろうとした広葉樹の里山の面影を見た思いがしたものの、楠との再会は帰りに寄った藤白神社の大樹に極まったのです。
樹齢1000年との御神体である楠の大樹には畏れまで抱き、また、駐車場に降りる坂道を有間皇子の悲劇の場に見立てれば、追っ手の恐ろしさや、恐らく後ろ手の首に掛けられた縄の感触と絶望まで背中に迫って思えたのでした。
以来楠に目敏くなった私は、思いの外街路樹などに楠が植えられているのに気付かされ、今頃からの季節に、瑞々しい黄緑の葉の中に、何事かと思うほど鮮やかな赤い葉が混じる『楠紅葉』を衝撃的に知ったのでした。
2年ほど前からだったか、高野槙とか笹百合とか、更には菖蒲草の一花とか、極めて珍しい花や木ばかりの制作を依頼をされる方が居られ、花数、葉数などは言うまでもなく、南天の実の数に至るまで指定されるのです。
とにかくそれが興味深く、具体的な要望による制作は、意図が明確で非常に助かりもしたのですが、つい先日その方から新しい注文が舞い込んだそこに、『楠の一枝』という文字があったのには仰天してしまいました。
楠との強い縁を思わずにいられなかったからなのですが、しかしクシャクシャと撓(たわ)む独特の葉は、私の技量では写し得ない判断しか出来ず、お断りのメールを送らざるを得なかったのです。
その翌々日、久しぶりに上京しての帰り、駅の前に大きな楠があるのに気付き、招かれるように寄って、風に揺れる一枝を手に取ってみれば、そもそも有職造花の写実は、カメラで撮る写実とは一線を画すのだったと、背中を押されるように思い直させられたのです。
私は即座に、制作させて頂きたいとメールしたのですが、直ぐに『出来得るなら、楠紅葉の一枝を』と追伸したのでした。