初めて睡蓮を作ったのは、人形コレクション用に四季の嶋台をとの依頼があった時で、それまで蓮の花は作っていたのですが、自ら進んで睡蓮を作ることは無くていたのです。
四季の嶋台のうち『夏』のモチーフは、依頼者の要望で百日紅でしたので、大きく百日紅が咲き茂る下に池があり、そこには睡蓮が咲き、水面に突き出た竹棒の先にトンボが羽を休めているという光景にしたのでしたが、花の直径が一寸にも満たない大きさの睡蓮でしたので、調べもせず蓮の花と同じように作ったら、まるで睡蓮の花にはならなかった苦い思い出が残ります。
蓮と睡蓮では、形態がまるで違うのです。
睡蓮といえばモネの代名詞のようですが、ずっと以前、仲間の息子に誘われて、モネの展覧会に行ったことがあったのです。
その子が服飾デザインの道にいて、私がデッサンの必要性を説いたり、実際に描いて見せたりしたこともあって、どう思ったのかちょうど東京で開催されていたモネ展に誘われたのでした。
私はモネを好むわけではありませんが、かつては初期の作品にある、白いドレスに落ちる木漏れ日とか、極端なほどの光の表し方に惹かれたことがあったものの、じっくり観たことなどなかったので、年齢順の展示の仕方は、興味深く面白かったのです。
なるほど確かに絵画の開拓者には違いなく、画業のいつにあっても、様々な追求を繰り返していたのだろう姿勢には感心しながら、モネ40代でしたか、赤茶の書き殴りのような試作を何点も目の前にした時、ずっと引っ掛かっていたデッサン力という裏付けの無さばかりが目に付いて、思わず『この人、下手だねぇ!』と漏らしてしまったのです。
それを聞いた仲間の息子が、そんなこと大きな声で!と慌てていたのでしたが、しかし見るべきものといったら、あれとあれとあれくらいだと言えば、それらは全てパンフレットに載せられた作品ばかりなのでした。
『夏の嶋台』以後、睡蓮の制作依頼が入ったのは、それから何年もしてからのことでしたが、岐阜にある『モネの池』と呼ばれる、テレビでもしばしば取り上げられる、睡蓮が咲く池を有職造花で作り、その淵にコレクションの人形を佇ませ、池を眺めている様にしたいという要望でした。
その前年、円空仏を観に行く途中にその池があったので、立ち寄っていたのでしたが、よくこんなところに鯉が生きていられるものだと思うほどの透明度だけでも、わざわざモネにすがるまでもないだろうにと、内心で密かに毒づいていたのです。
それから6年を経た今年の5月、3度目の睡蓮作りとなる依頼が入ったのですが、今度は黒塗り台の上に有職造花の睡蓮を飾りたいとのご希望でした。
平面に睡蓮を咲かせるわけですから、睡蓮の池制作の時のような、それが僅かに2寸足らずしかなかったにしろ、水深が無いのです。
色々と考え巡らせた結果、水深は一切無視して、黒塗りの平面を水面に見立て、茎は平面の下に伸びているという設定で、3色ほどに染め分けした葉や花を単品に仕立て、それを使って自由に睡蓮の咲く光景の構成を、依頼者自身にお楽しみ頂こうということにしたのです。
今月初めだったか、時代劇に登場したりする、手桶の両側にガラスを嵌めて立てたような金魚鉢に、何らかの水生植物と金魚が泳いでいるような有職飾りをという、昨年からの依頼が再び持ち上がりました。
ところが、何せその金魚鉢といったら直径16㎝、奥行8㎝とのミニチュアサイズに加え、ご希望の一つだった梅花藻を作ったとしても、浮かせる手立てがありません。
そこで、ちょうど時季でもあり、三度の制作で手慣れたことでもあり、小さな睡蓮と葉を底板に植えた長い茎の先端に開かせ、その下に金魚を泳がせてはと提案したのです。
金魚を木彫彩色して、相変わらず救いようのない彩色に呆れながらも、金魚鉢に上手く収まってくれればよいのにと、出来上がるなりサッサと送ってしまいました。
さて、今年の暑さは殊更のようで、私の仕事場も37℃の新記録という有様に加えて、制作依頼もとんと入らず、どこかで開き直りでもしたのか、一番したくもない桜の萼作りに精が出たのは、猛暑の七不思議。
朝に開いて、昼過ぎには閉じる睡蓮にあやかり、熱さの夏の手持ち無沙汰を、昼寝でもしてやり過ごすことにいたしましょうか。