全く、夏至を過ぎると益々襲いかかる酷暑に矛盾する如く、紫苑はどんどん伸びて行く、目に見えて日が詰まって行くというのは、毎年のことながらやたらに解せないのですが、夏至から2ヶ月になろうとするこの頃の夕方の早まりには、まだまだ残暑の盛りだというのに、何だか侘しさすら感じてしまいます。
今年の夏は、仕事場が37℃にも達した7月を越え、8月に入ってしばらくすると、一気に涼しい日が続いてくれましたから、酷暑の記憶が追いやられて、過ごしやすかった夏という印象なのです。
気の毒としか言いようのない熊本の震災では、水が出ない状況に、東日本とまるで反対のような熱暑にまで襲われているというのですから、せめて気候だけは逆になれば良いのにと切実に願った18日の朝といったら、居間から見る空一面に、鰯雲が広がっていたのです。
嶋台というのは、洲浜台の上に松竹梅の蓬莱山を模った有職造花を載せたもので、そもそもは三々九度の盃置きです。
洲浜台の洲浜とは、もともと『砂洲(さす)が緩やかな曲線を描いて海に突き出している、出入りのある美しい海岸(浜辺)』のことで、その自然の形状を様式化して装飾的な台に仕立てたのが洲浜台なのですが、よくそれが嶋台だとの混同が目につきます。
これまで、雛の小道具としての嶋台も含めると20台にもなるだろう数の、大小様々な嶋台を作りましたが、同じものなど1つもなかったものの、基本的には能舞台の鏡板に描かれるような松に、竹、梅、鶴、亀を加えた伝統的な造りだったのです。
京都の和菓子の包紙に描かれていた、琳派のように装飾化された松に感心して取っておいたのを手本にして、雛の袖に絵付けするのに練習し、それを更に装飾的にした図案で嶋台制作を思いついて仕上げた話は以前の『近頃のこと』に書いたのですが、それは私にとって初めての、人形小道具や復元ではない、オリジナルの嶋台制作となったのでした。
6月下旬頃に、尺三寸の洲浜台で秋の七草の嶋台を作って欲しいという依頼が入ったのです。
即座に、ぼんやりとながらプランが湧き上がったのでしたが、他の制作をこなしているうちに、依頼そのものが記憶から飛んでしまっていたのが、数日前あたかも発作の如く突然蘇り、直ぐに制作に取り掛かったのです。
ともかく七草の一種類ずつを作り始めたのですが、20数年の試行錯誤を経て、ようやく辿り着いた手法での女郎花制作に物怖じもなく、そのきっかけとなった藤袴などは、いよいよ作り方が手に入ったようで、小粒の花から飛び出すクシャクシャの雄蕊(?)の様子も工夫出来て、とりわけ面白く出来上がったのでした。
パーツを作りながら、さてこれらをどうやったら一目で『秋の七草の嶋台』と思われるオリジナルの、しかし伝統の威厳を備えた嶋台に仕立て上げられるかと考えていたのです。
そもそも、7種の秋草が野にまとまって立つなど不自然極まり無いのだし、七草をひとまとめにして洲浜台に飾るのは理に叶っているだろうけれど、横たわらせた秋の七草の有職造花だけで嶋台に成り立たせるのならば、茱萸嚢(ぐみぶくろ)のように朱房で括る錦の袋に入れれば、いかにも有職造花の飾り物として成り立つだろうと思い付いたのです。
ならばどうやって袋に挿し入れたらよいものかと考え始めたその時、直径3㎝ほどの棒が目の端に入ったのです。
棒は、牡丹や蓮などを作る際、薄い輪切りにして花弁を貼り付ける土台にする檜で、ほんの10㎝ばかりの使い残しが作業台の隅に置かれていたのでしたが、それを手にするなりあれよあれよという間に、秋の七草は何の迷いもなくそれに植えられてしまったのでした。
袋にはあえて他に何も入れず、綿を入れて袋を膨らますこともせず、房を作って括り整えれば、それでさっさと完成してしまいました。
これを嶋台と呼べるのかどうかは異論もあるかと思うのですが、嶋台が婚礼用具と別歩きし始めてから、遊興風俗の場では随分自由な発想での嶋台が登場するのですから、五節句を踏まえた有職飾りとして、これはこれで私の嶋台に仕上がったと思うのです。
襖の前に嶋台を置いて撮影に臨むと、何事もなかったように秋の七草が洲浜台の上に花を開かせていますから、私もまた他人事(ひとごと)のように撮影を済ませ、何事もなかったように新しい制作に気持ちを移行させるのです。