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■ 近頃のこと

2026/09/26

すったもんだの白線描き

ふと気づけば、低木の先端をすっぽり覆うように掛けられたクモの巣に朝露がビッシリと降りて、それが真っ白に、秋口の早朝ならではの風情を見せているのです。

今年は、殊更酷暑だった7月でしたから、8月9月が思いやられて途方にくれすらしたのでしたが、8月の声を聞くなり途端に涼しいくらいになってしまって、そのまま残暑らしい残暑を知らぬ内に、紫苑が伸びる、庭に虫の音が響き始める、日の出が目に見えて遅くなる、夕暮れがどんどん早くなるという風に、急速に秋めいてしまったのです。

過ごし易くて良かったには違いないのですが、どうしたわけか暴風雨がたて続き、同じ地域ばかりがついに大水にまで見舞われた被害には、目も当てられません。

心配して頂いて、北海道から沖縄まで、いくつもの御見舞いがあったのですが、こちらは微妙な線引きで線状降水帯からも外れ、まるで何事もなかったものですから、テレビ報道で心配された御見舞いを頂戴する度に、なんだか拍子抜けばかりさせ続けているようで、甚だきまり悪かったりしていたのでした。

呑気といえばその通りなのでしょうけれど、そんな中で私の悪戦苦闘はといえば、何が何でも尺八寸の屏風を描かなくてはならなくていたことなのです。

小御所に、連なる遠山と朝日、又、その所々に満開の桜が見える襖絵が対になってあるのですが、それを模写するような屏風でよければという条件で引き受けざるを得なかったものでしたから、送られてきた麻紙を貼っただけの屏風の荷も解かずに、数ヶ月も放置してあったのです。

向かって左端の4面には遠山に朝日を、右端の4面には染井吉野の咲く遠山を描くのですが、問題は一双を跨ぐ真ん中の4面で、全く別の襖絵にたなびく青雲を追加したりして、むりやり左右との辻褄合わせをして当て嵌めたのです。

真ん中の4面として選んだ襖絵は、斜面の山肌が目前にあって、そこに老松と雑木が茂る光景なのですが、何しろ模写のために手元にした小御所の襖絵といったら、わずかに縦15㎝に満たない縮小コピーのみなのですから、ただでさえ雑木を描く技量もないのに、手本の図が小さ過ぎて、雑木のアウトラインすら把握出来ないので、メインの松を描いた時点でサッサと雑木は諦め、幾らか描きなれた松ばかりにすることにしてしまいました。

しかし、甚だ厄介なのは、たなびく青雲とそれを縁取る白線を描くことなのです。

比例によって先ず青雲の幅やらを正確に写し取り、紺青の泥絵の具で下塗りしてから、紺青の岩絵具を重ね塗りしてゆくのですが、それだけの作業に3日も費やしながら、更に厄介なのが、絵を描き終えてから仕上げに引く青雲を縁取る白線描きなのです。

青雲のたなびく屏風は、六番親王用の二尺屏風と、二番親王立像用の三尺屏風で描いてはいるのですが、とりわけ三尺屏風の何とも締まりに欠けた仕上がりこそ、屏風自体の大きさから、より長く数多い白線にもかかわらず、フリーハンドで描いたことが要因に違いないのでした。

そもそもこうした白線は、書道や絵画の範疇ではありませんから、緩急など必要としないし、それが見えては邪魔にしかならない類でありながら、多少絵や書の訓練を得ている手だと、どうしても無機的な線が描けないのです。

何だか知らないけれど、YouTubeには盛んに日本画や水彩画の講座のようなチャンネルがあって、嫌が上にも目に入ったりするのですが、そこでマスキングテープが使われているのを見るなり、ああ、それを使えば機械的に真っ直ぐな白線が引けるんだと、直ぐにホームセンターに走ったのでした。

相変わらず下手の露呈ばかりなのはともかく、白線も引き終えて完成としたのでしたが、溶いた胡粉も余っていることだし、長いこと心残りを突きつけられ続けていた、三尺屏風の白線の描き直しに向かいました。

そもそも絵が絵のことですから、思ったような仕上がりにはならなかったのですが、描き直された白線を見ながら、絵の方も徐々に徐々に、知識や方法が得られた時加筆を重ねながら、何とか気の済むものを目指してゆこうかと呑気に構えるのにも、少しばかり張り合いが得られたのでした。

10月4日に地区の敬老会があるのだそうで、今年も出品の依頼を受け、『式子内親王の和歌による有職飾り』と『二尺屏風』を出そうと思っています。

個展など真っ平な私が、年に一度きりの地区奉仕を楽しみにしているのです。(笑)

日の出

遠山

雛飾り

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