戦前のことだったか、戦後になってからだったか、安井曾太郎という洋画家が、何かで『展覧会の審査を終えて上野の美術館を出ると、自然の瑞々しさに生き返る心地がする』というようなことを書かれていたのです。
要するに、審査の対象になる絵の殆どに、自然の息吹が欠如しているというのでしょう。人物や静物も含めた自然物を前にしながら、描いているのは『絵』であるだけで、『自然』を描いているのではないということなのでした。
安井曾太郎は、確か浅井忠門下でデッサンを学んでから渡仏、そこで更に徹底的なデッサンとアカデミックな絵画を学び、サロンで受賞もしたのでしたが、帰国してから日本の風土や日本人の身体に馴染めず、その後何と10年以上にも亘る、いわばスランプから抜け出せなかったのでした。
その苦悩と苦闘の年月の末に彼が掴んだのは、真の『写実』とは何かということで、『写実』とは形をその通りに写すのではなく、例えば人を描くのならば、その人の性格や声まで、そこにいるように再現出来ていなければならないというものなのでした。
そのために施されるデフォルメ(誇張)が、やがて琳派に通じる装飾性に発展していったのは、そもそも京都中京区の生まれだった彼からしたら、当然とでも言うべき成り行きだったのかもしれません。
余談なのですが、私が安井曾太郎から衝撃を受けたのは19歳の時で、図書室で何気なく見ていた彼の画集のあるページをめくった瞬間、そこに現れた絵に、雷に打たれたような衝撃を受けたのでした。
『承徳の喇嘛廟』という絵なのでしたが、非常に装飾的で、即座にこれが油絵なのかと驚きながら、それでいながら、これほどその地の空気や臭い、気温や光というものを感じ取ることの出来た絵など見たこともなかったからなのです。
その後、安井曾太郎の絵を追いかけるほど、彼の言う『写実』というものにつくづく納得、同意、同感するばかりだったのですが、それから10数年後に有職造花と出会い、やがて天職として制作に携わって行った私の姿勢や方向性は、安井の言う『写実』を基本にして、決して外れることはなかったのです。
そしてまた、私が京都ならではの美観や美感を、まがりなりにも体得してゆく拠点となり続けたのが京都中京区だったのでしたから、安井曾太郎との出会いも、大袈裟ではありますけれど、『La forza del destino (運命の力)』ということだったのだろうと思わざるを得なくているのです。
さて、近頃になって知ったのですが、YouTubeには藝大出の方々やらが日本画の講座のようなチャンネルをいくつも開かれていて、私のような独学者には技法を確かめるのに重宝ではあるものの、その方々の描かれる日本画なるものには、違和感ばかり感じてしまうのです。
受験のための訓練で優等生の達者な絵というだけで、何よりも人間を描こうが、花を描こうが、建造物を描こうが、そこに質感の違いというものがまるで感じられず、しかもそうであることが現代日本画のインテリジェンスだとでも言いたげな印象すら、意地悪く受け取れてしまう有様。『写実』というものなど欠片もないのです。
しかし、例えば山本春挙の松葉とか、小倉遊亀の描いた温泉の湯気のような専門性や情緒とでもいうものに価値を置かないのが『今の時代』というものなのでしょうし、そもそも私に何のかの言える資格や技術があるわけでもないのです。
造花の中にも、有職造花と名乗らないまでも、そんな所から葉は出ていないとかいう妙なものが多々見受けられますが、それでも選ばれ、買われてゆくのですから、社会とは所詮その程度のものなのでしょうし、『あっしには関わりねぇことでござんす。』ってだけのこと。
『写実』をこそ楽しんだ平薬も殆ど作り尽くした感が強く、私の有職造花制作の先行きも甚だ頼りなく思う秋を、些かセンチメンタルに迎えているのです。