そもそも私は、何よりもジトッとした湿気が大嫌いで、北海道に梅雨がないというのなら本気で移住しようかと考えたりする程なのです。本当に今年の夏の湿気といったら、8月に入ってからすらカラッと真夏らしく太陽が焼け付くというような日は数えるばかり。連日ジトジトとした陰気な天候が、まるで嫌がらせのように続くのにはつくづく情けなくなってしまいました。
もちろん私は、梅雨ならではの美しさ、瑞々しさというものに鈍感なわけではないのです。青田が風の行く手を見せて曇天にうねったり、山々の烟るような緑が梅雨の雨にこそ応える息吹は、謂わば文学や美術で湧き起こるのと同じ種類の感嘆で、つくづく見とれてしまうのです。しかし、そうした緑の美しさ、ロマンティックさとでもいうものも、梅雨入りして十日間ほどのこと。後は、ジトッとした畳や床を足裏に引っ付かせ続けなければならないだけなのです。
そんな時期であっても、まだ倍も大きい萼に包まれるように実を結び始めた青柿が、漸く直径1cmばかりに膨れて梅雨の雨の向こうに濡れて見え始めるのを、毎年の楽しみにしているのです。それで、青柿の平薬を作りたいと考えていたのですが、今年の夏はとても慌ただしかったものですから、手が空いた時には8月も下旬に入っていました。
私のプランは、そぼ降る雨に繁った葉が濡れる青柿の枝に、雨を避けて一羽の鳩が留まっているという設定だったのです。雨天で暗い朝方の柿の木のこと、ともかく何種類か絹布を濃い青緑に染めてみた時、ふと上村松篁さんの画集でそんな染め色のような青い画面に、まだ青い桃と雉を描いた作品があったのを思い出したのです。柿の葉は何度も作っていますし、青桃の彩色にも興味が惹かれましたから、基本設定はそのままに、鬱蒼と葉が茂るのは青桃が実る桃の木。そこに一羽の鳩が雨宿りしているという設定に変更したのです。
さて、様々な野鳥を木彫り彩色して来たものの、鳩のような結構大柄でふくよかな鳥というのを彫ったのは、せいぜい鴛鴦くらいしかありませんでした。復元の平薬で雁を彫ったことはあるのですが、あれはとても小さなものだったからで、そもそも私は、鴨のような姿態の鳥にはあまり魅力を感じないでいたのです。私にとっては、形が緩やか過ぎて面白くないのです。しかし、雨宿りならば頭を胴体に埋めるように枝に留まっているでしょうし、そうして膨らんだ胸のアウトラインというのならば鳩がピッタリだろうと思ったのです。梅雨の雨に濡れた桃の葉というので、葉色を濃い青緑にしましたから、キジバトも実物とは少し変えて、対照的な暖色設定にしました。細部に説明的になるのを避けて絵画のような彩色を目指したのですが、そうやって目を描き始めた時にふと、雨宿り→退屈→居眠りという発想が起こり、鳩の瞼を半分閉じることにしました。閉じかかった瞼は、岩絵の具の特性を利用して盛り上げてあります。
さて残念ながら、鳩と青桃の組み合わせや構成には満足出来ているものの、この平薬から梅雨の雨筋を見て取れる程の出来映えには至らなかったようです。来年の梅雨時に取り出して、もう一頑張りというところでしょうか。