幾種類もある有職造花の中でも、技術的にであれ朝顔は得意な範疇なのですが、クルクルと内側に巻き込んで萎む終わりの朝顔に掛け替えのない風情があるのを知りながら、技法に確証が得られなかったりで再現の努力を怠ったままだったのです。昨年七月やっと挑戦してみれば、色褪せの情緒まで再現出来たようで気を良くしていたのですが、とうとう朝顔の平薬制作に至らないまま今年の夏を迎えてしまいました。
そんな先月、ボヘミアン・ガラスに朝顔を組み合わすプランによって、いよいよ作り置いたままの萎んだ花を使おうと新しく数輪の朝顔を作り始めた時、ならば開きもしない閉じもしないという曖昧な時点の花をも再現してみようと思い立ったのでした。花弁が内側に巻かれて萎む花の様を叶えるため、花弁の内側に細い針金を貼り付けて巻いてあるのですが、中途の花の場合も同じ仕立てにして、半端に巻き込めば良いだけのことなのです。しかしこれは予想以上に美しく出来ました。朝顔の花弁ならではの魅力を、絹によって存分に表し得たように思えるのです。
さて、この朝顔は最初から西洋朝顔にしようとプランしていました。どうやら琉球朝顔というらしいのですが、かつて見た宮古島の森に絡まって咲いていた大輪の花は雨の日にこそ美しく、それと西洋朝顔が良く似ていたのです。花も葉も実物の色とは随分違うのですが、葉は花の薄紫色に相応しい淡い鶯色に染めた生地を使ってあります。いつものように、出来上がったパーツを蔓(つる)に仕立ててしまってから、今回は極細の籐での輪に構成しただけなのですが、いかにも涼しげに仕上がったようです。
どうやら私は、朝顔のみならず葛(くず)、蔦(つた)、藤(ふじ)といった蔓(つる)植物が得意なのでしょう。蔓の寸法を計算して綿密な図案を作るなどという工程は全く踏まないのですが、好きなように組み立てた蔓は作為も無しにいつも自然に自由に絡みついて、自分が予期しないほど気に入るようにまとまってくれるのです。