このところずっと、来春の雛展図録への執筆依頼やらに追われていたのですが、そこに十二世面庄作の子供頭を使って『鷹匠』の人形をとの珍しい依頼があり、私が両手と鞭、鷹を作ることになったのです。
鷹匠とは、勿論慣らした鷹を使う狩人のことですが、それを侍の子供に見立てて仕立てるのです。昔は五月人形の一つとして結構作られたようですが、今はまるで見かけません。それどころか、そんな人形があったことすら知られなくなったのでしょうし、そんな人形を仕立てられるのも、今や丸平さんだけかもしれません。
そもそもこの依頼は、神武天皇の金鵄で初めて猛禽類を木彫り彩色した私が、それが面白くて隼(はやぶさ)の平薬を作るに至り、それを気に入って下さった方が、残っていた十二世面庄の頭を生かしたくて、ならば『鷹匠』をということになったのでした。
おぼこ七寸という人形は、立った足元から額まで21㎝の背丈で、四頭身程の幼児に仕立てるのですが、鷹は嘴(くちばし)から尾羽まで7.5㎝くらい。右手に調教の鞭、左手にT字型の止まり木を握って、それに鷹を止まらせるのです。
すっかり廃れてしまった五月人形にあって、『鷹匠』の他に、こうした侍の子供仕立ての人形で今も丸平さんで作られているのは、『菖蒲持ち』『木馬乗り』など、ほんの数種類になってしまいました。直垂(ひたたれ)に袴などという、どちらかと言えば地味な装束なのですが、見ているとふと気持ちが和んでしまうような人形です。
さて鷹といっても、子供の手にする小道具ですから、やはり四頭身の体型に馴染ませなければなりません。それで寸胴に作るのですが、ただでさえ私が作ると、龍も猛虎もコミカルな感じになってしまいます。そもそもそんな形が好きなのでしょうが、楽しんで彫っているとそうなってしまうというだけなのです。
そんな中、『流水桜橘』平薬の依頼がありました。この平薬は、雛の節句用として人気があって、羽子板同様に何度も作って来たのです。ですから、贅沢な話なのでしょうけれど、作る側としては新鮮味に欠けるし、工夫が反映され難い上に、パーツの数が多く手間が掛かるばかりで、私には気の重い平薬なのです。少しでも気持ちを変えようと、上等な絹サテンを使って作ってみたのですが、どうもスッキリ仕上がってくれません。
遥かに昔、デッサンの毎日だった頃、突然父親が癌での余命宣告を受けたり、様々苦悶の日々にあり、鬱に落ち込むばかりでいたのですが、亡くなられた美術顧問の先生が私のデッサンを見るなり、何か悩みごとがあるだろうと聞いて来られたのです。
私は驚きながら、言いたくないとだけ応えると、顧問は静かに『言いたくなければ言わなくても良いけれど、絵には気持ちが表れてしまうんだ。』と言われたのです。うなだれてその言葉を聞いた途端、涙が溢れてアトリエの床に落ちたのでした。
前向きに楽しんで作らなければ、晴れ晴れとした良いものなど出来る筈がないのですが、どうも私はいつまで経っても、こうしたコントロールが利きません。
苦し紛れに下花を追加することにして、折り紙に菊花を挿したのは、五節句の意味を残す意図がありました。
何れにせよ、こうした装飾だけの意図が強い平薬の製作法に、全く新しい工夫での切実な転換期を迎えたのでしょう。桜の鏝当ても変え、既に浮かんでいるプランを実現するため、頭の中でのシミュレーションをいよいよ繰り返さなくてはなりません。