私の身の回りだけのことかもしれませんが、結構無花果(いちじく)を好まない人が多いのです。私は、フルーツを幾種類も乗せたケーキに、無花果が付いているというだけで、迷いもなくそれを選ぶのですが、そもそもあの切り口が気持ち悪いのだとか。分からないでもないのですが、無花果とは書かれるものの、ぐじゃぐじゃな果肉の1つ1つが花なのだそうです。
私は乾燥無花果にも目がないのですが、黄緑色の長い房の葡萄と共に、シルクロードペルシャ側のオアシスにある市場が、あたかも前世の記憶のように思い起こされてしまうのです。比類ない隆盛が砂漠の押し寄せに衰退し、打ち捨てられ立ち枯れした無花果が、2000年もの時を乾燥に費やして出土された、シルクロードの遺物のように見えてしまうのです。
家の裏には、昔大きな大きな無花果の木があったのです。毎年それに登って、剥いた皮をその場に捨てながらたらふく食べたものでした。熟れた実が雨に当たると大きく口を開けてしまい、それに足長蜂とかが群がるし不味くもなるというので、母は雨が降りそうだと食べきれないほど沢山もいで来たので、掘り炬燵の上にはしばしば無花果が山なりにされていたのです。
私は実ばかりでなしに、無花果の葉の色や形、そして枝の張り方までが好きなのです。それでいつか無花果の平薬を作りたいと願って来たのですが、思いの外大きな葉ばかりか、葉の茎も長かったりで、その様を直径30㎝の輪の中にどうやったら再現出来るか、その解決がなかなか得られないでいたのです。
しかし、手持ち無沙汰の見切り発車のように制作を始めてしまえば、蓮の花と葉の平薬を作った時のように、懸念は杞憂に過ぎず、全く躓くこともなく出来てしまいました。
葉は5種類の緑に染め、鋏で大まかな形を切り出してから、5本の葉脈を針金で施して和紙を貼り、最終的なアウトラインを再び切り出して仕立てたのです。果実は、いつもながらの木彫り彩色ですが、作ろうとするものが実際に見られる季節の制作ほど確かなことはありません。
出来上がってから、作り置いてあったホオジロを乗せて見ると、羽の色が無花果の葉に自然に溶け込んで見えましたので、そのまま組み合わせることにしました。
忌々しく、うんざりするばかりの長い長い夏の果てに、沖縄並みの台風到来という踏んだり蹴ったり。前代未聞の風速で、裏の泰山木が根こそぎ倒されてしまいました。物心ついた頃から、毎年大きな花を見せてくれた木で、泰山木の平薬を作った時のモデルでもありました。
そうやってそれまでの生活を彩り、関わりもしたものが徐々に消えて行くのが人生なのでしょうけれど、そんな連続がどうでもよくなって、やがて無くなったことにも気付かなくもなった時、命の灯も消えるのが『長生き』というものなのではないかと思ったりするのです。