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■ 近頃のこと

2016/10/06

ザクロを作る

有職造花は、どうしても現時点の季節のものを制作したいという気持ちが強いのです。しかしながら、秋とはどうにも相性が悪い私は、キビタキの木彫り彩色などとっくに出来上がっていながら、それを組み合わせる『秋の平薬』というものがまるで思い付かなかったのです。
庭の端にあったザクロの木が無くなってしまったのはいつだったのか、明るい黄緑に付く鮮やかな朱色の花が見られなくなった事には気付いていたのです。結構太い幹でしたが、徐々に寿命を尽きさせていたのでしょう。秋になるとほんの2、3個ばかり実を付けた背丈1mばかりの渋柿は、いったいどれほどの樹齢だったのか、慶応三年生まれの曾祖母が嫁に来た時には既に同じ大きさだったのだそうですが、ロシア正教の曾祖父が植えたのだという紫の牡丹の古木と共に、それもいつの間にか消えていました。樹木にも、静かに寿命を終える認識があるように思えば、看取れなかった薄情さを悔やみもするのです。
人肉の代わりにザクロを与えたという鬼子母神の逸話をはじめ、昔からザクロには特異な発想が及んだのでしょう。千夜一夜物語にも、追いつめられた悪魔がザクロに化けて弾けると、退治しようとする神は鶏に化けて一粒ずつ啄んだというような話もあります。ルビーのような鮮やかな粒が、不規則に割れた実から剥き出しにされるのですから、発想は何とでも膨らんで然るべきだったでしょう。
そのザクロを木彫りしてみたくなったのは突然だったのです。勿論粒の一つずつまで木彫りするのですが、その彩色にも興味惹かれてのことでした。ザクロならばキビタキとも組み合わせられるだろうとも考えました。
木彫りは何ということもないのですが、表皮の彩色にはやはり手こずりました。そもそも秋深くに取り残されたザクロという設定でいましたので、最初は乾涸らびたような赤茶色で塗ったのですが、それがあまりに重苦しく思えましたので、一気に金茶で塗りつぶしてしまい、その上に若干の赤や茶、緑青を挿してみたのです。岩絵の具というのは、塗り重ねた下の色などまるで見えないようでいて、出来上がりはただ一色を塗ったのでは到底及ばない、多彩な重厚さというようなものになるのです。基本的には洋画の出身である私の描く日本画は、どうしても異質さから抜け出せないのですが、今回のザクロ彩色によってそれはそれで仕方がないのではないかと、自己満足でしかなかろうとこれが自分の日本画というのであっても良いのではないかと、そんな思いを持ったのです。
最初は赤い実だけニスを塗って光沢を出そうと考えていたものの、岩絵の具ならではのくすんだ色彩は、深秋の外気を醸し出せているように思えて、ならばとキビタキも一羽だけ添えるに留め、日本画にあるまじき事はせず、そのままにしたのです。

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