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■ 近頃のこと

2014/05/12

牙彫師安藤禄山

明治期に超絶技巧を誇った工芸作品群は、どれもこれも想像を絶する手間や下積みの集積から成された職人技の権化というべきものでしょう。
もちろん商品には違いないのですが、職人とはいいながらそのデッサン力は画家や彫刻家に引けも取らない水準なのだし、何の閃きも感動もない、同じ物の量産を職人仕事だとしているのとは、資質をさて置いてすら制作姿勢の次元が異なるのです。
その中に、牙彫り(げぼり)という象牙彫刻の職人で、安藤禄山という職人がいます。
掘り立ての筍を牙彫りして彩色したものなど、剥がれ掛けた根元の葉こそ極めて精巧に手業が駆使されているのです。
その形体も色彩も、写実に留まらない様式美まで高められていますが、弟子一人とて取らなかったためもあるのでしょう、象牙にどうやって彩色したのか、その方法すら明確には把握出来ないとか。
その名前も時代に埋もれて、今や没年すら分からないというのです。
しかし、アルタミラの洞窟に遺された動物群像、法隆寺の百済観音、興福寺に伝わる阿修羅を始めとした少年の面影を仏像に映す天平仏の一群、そして僅かに創建当時のまま残った東大寺の大仏の台座に彫られた線描の仏像等々も、その作者は悉く知れもしないのです。
確かなのは、誰かの創作人生の上に成し遂げられた制作であるという事です。
そもそも創作物に名を残すことなど必要でしょうか。
残すべきは創作物だけで良いはずなのです。
肉体が滅び、名前が埋もれようと、出来上がった物だけが評価し続けられるだなど、それこそ"ものつくり"至高の到達点ではないかと思うのです。

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