近頃の私は、季節季節の瞬間に触発されて制作しているのです。そうした触発によって、自然に突き動かされて出来たような有職造花こそが、どんなに下手くそであろうと、自分の本領には違いないと思っています。
そもそも季節の花を作るというのは、実物を観察して作れるという最大の利点があるのですが、合歓(ねむ)の花は、ずっと前から一度作ってみたかったのです。葉の処理に躊躇していた事もあり、同じように制作を見送って来た露草や立ち葵を、とうとう作る事ができた昨年ですら制作を見送っていたのですが、『遅春』と『水際』という晩春の平薬が立て続けに出来て、まだまだ治まらない手の疼きのような感覚に次は何を...と考えた時、あっという間に夏の様相を濃くした通勤途中の風景に、何とも言えない枝振りで若々しい葉を翻していたのが合歓の木だった事もあって、いよいよ制作に踏ん切ったのでした。
合歓の花は、あれだけ美しく詩情豊かな存在でありながら、私にとっては瞬間に鬱陶しい感覚が持ち上がってしまう花なのです。しかしそれは決して花自体に問題があるのではなく、花の咲く時期にこそ問題があって、どんどん暑さを増してゆく時期は殊更に、歩いて学校に通うのが嫌で嫌で堪らず、そんな気持ちで目にした合歓の花に、不幸なトラウマを残してしまったということなのです。
合歓の花にとっては迷惑この上ないことでしょうけれど、 しかし私が合歓の花に寄せる愛情は当時ですら変わるものではありません。あれほど不思議な成り立ちで、しかも炎天下にそこだけ涼風を宿らせたような花があるでしょうか。
今回の制作では、そうした想いを際立たせるために、葉色を実際とは違った薄青に近い色に染めたのです。葉の制作に躊躇し続けた要因は、この色の決定に解決がつかなかったからかもしれません。
合歓の葉は、先ず葉の長さと幅である長方形を切って針金を貼り付け、羽裏になる和紙を貼ってからアウトラインを切り出すのです。次に幅2mm程に切れ目を入れたら、更に葉先を丸く切り揃え、その一枚ずつに筋鏝を当てるのですが、僅かにこれだけの葉を作るのでも3300回以上の鏝当てになります。尤も、技術を要する鏝当てではありませんから、ひたすら忍耐だけの話です。
ここまで出来たら後は構成のみ。これからが楽しい時なのですが、さてこのパーツはどこに使われる事になるのでしょう。まだ自分にも分からないのです。