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■ 近頃のこと

2014/08/21

彩色の憂鬱

絵を描くのが苦手な私は、中でも彩色というのがまるで駄目で、だいたい隣にどんな色を置くか...というような、絵画で最も重要な事にも色が浮かんでこないのです。
木彫りはそんなに大変な事と思わないのですが、それを彩色しなければならないとなると途端に後退りしてしまうほど、彩色は私にとって脅迫に近い重荷なままです。
『書院懸物図』からの『八月の平薬(萩に雁)』復元では、5羽もの雁を木彫り彩色しなければなりませんが、こうした彩色にはいつもながら日本画の花鳥画が非常に役立ってくれるのです。
ともかく濃茶や赤茶で本体を彩色した最後に、その対極にあるだろう水色の岩絵の具(水浅黄)をたっぷりの水で溶き、大胆にざっぱりと部分に掛けて溜まらせる方法を思いついて試してみると、これが意外に良かったのです。
しかしながら、こうした飾り物や犬筥、木彫り人形や小道具の彩色というのは、本当はこれではいけません。岩絵の具より泥絵の具を使ってのっぺりと塗って、銭湯の絵のようでいながら奥深い味わいを出すというように、いわば才気走ったとでもいうような絵画性を表出させてはならないのです。
有職造花があくまでも自然の写生に則りながら、それでいて写生のままであってはならないように、飾り物の彩色にはそんな『専門性』が必要なのですが、それを当たり前のようにこなせていた職人が、かつての京都には幾人も居られたのです。
そうした方々が遺された仕事には、どうしたらこんな風に仕上がるのかまるで見当もつかないものも多く、しばしば唖然とさせられてしまいます。それこそが、究極の職人仕事というものでしょう。
残念ながら、恐らくそこに辿り着く事など叶わない私なのでしょうけれど、目指す姿勢を決して失っていないながらも、色の欠如を彩色の度に殊更突きつけられて、憂鬱を繰り返しているのです。

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