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■ 近頃のこと

2014/09/22

手に口ほどの-木彫談義-

お客様でもある人形コレクターの方が、ヤマナという今は絶えてしまった京都の木彫り馬職人の黒馬を手に入れられたのを機に、丸平さんで馬乗り白拍子(八寸)の人形を仕立てられたのですが、それがあまりにも出来が良かったのです。
頭は、丸平さんに長く眠っていた埃まみれのを幾つか掃除してみたら、穏やかに美しく温かな面差しが二人分用意出来たのです。恐らく昭和初期、十二世面庄によって作られた頭なのでしょう。
二人分の頭を生かす馬乗り白拍子のプランは、黒馬の鞍に白拍子を1人座らせ、その下にもう1人の白拍子を立たせるという組み物です。コレクターさんは、その背後に大きな桜の立木を置いて花見とするのを手始めに 、朝顔を置く、白萩を置くというように、有職造花の置物を換えることで、季節ごとに楽しめる計画を立てられたのです。
納品された人形の手は、もちろん京都手足師によるものを使ってあるのですが、折角の名品ですからこの際手も特別に木彫りすることにしました。桐の角棒を2寸ちょっとに切って、手首から指先までをちょうど1寸の寸法で彫るのです。桐は目が粗いので、太さが1㎜にも満たない小指などは、ともすれば折ってしまったりする危険もあるのですが、僅かな窪みも流麗な曲線で再現するには、木材でなければならないものがあるように思います。とりわけ指の表情には特別の興味があり、どんな感情によってそのポーズに到ったのか、指や手の甲の曲線からその瞬間を伝えるつもりで彫り上げるのです。言うまでもなく、それこそが木彫りの楽しさであり、遣り甲斐や醍醐味というものでしょう。
あらかた彫り上げた手は、先ず細かいサンドペーパーによって表面を磨き、それから胡粉塗りに入ります。胡粉は、途中で磨きを掛けながら20数回は塗り重ねるでしょうか。もちろん、胡粉に埋もれてしまいがちになる指の間などをカッターで彫り起こしながら塗り上げます。胡粉塗りにある程度の厚みが要るのは、仕上がりに爪と皮膚の横皺を数本刻まなければならないからでもあります。筋彫りしても木地が表れないだけの厚さが必要なのです。しかし、問題はそこにこそあるのです。
要するに、どれだけ細やかに指の表情や曲線を彫り上げても、胡粉を塗り重ねることでどうしても甘く鈍くなってしまうからなのです。出来うる限りサンドペーパーなどで表情を伝える細やかな曲線を彫り起こすのですが、どんなに白く滑らかな肌触りになろうとも、木彫りである限り磨きを掛けた木地の時点が最も美しいということになるでしょう。
爪を切り出し、あたかもマニキュアのように爪を肉色に塗ったら、絹で胡粉を磨き上げて完成です。目は口ほどにものを言い...ならぬ、手に口ほどのものを言わせる...というお話でした。

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