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■ 近頃のこと

2014/09/25

面庄頭の七変化

人形の頭(かしら)というのは、本来桐のおが屑を糊で錬って型抜きし、部分的に胡粉を置き上げて成形しては上塗りを重ね、目を切り出すとかしながら作り上げたのです。
その面倒な行程の技術は、とても一朝一夕に習得されるものでないばかりか、実力の差が極めて著しく表れました。しかもそうした伝統的工法での頭といったら、エアコンが普及した現代の住環境だと割れてしまったりするのです。何とも興味深いことに、昔ながらの工法による工芸品というのは、現代に共生出来ない傾向が強い。
当然商売には適しませんから、もう半世紀近い前に石膏による頭制作に取って代わられたのもやむを得ないものがあるのでしょう。 しかし、年月の経過で胡粉に乳白色の艶が現れ始める昔ながらの頭と違って 、石膏頭ではそうした熟成が全く発生しないのです。
昭和20年に没した名人頭師十二世面庄の頭は高価だったのでしょう、一般的な人形師は売り尽くせるだけを仕入れ、それが捌けたらまた必要なだけ仕入れるという程度で、在庫として残る事などなかったようですが、丸平さんには仕入れたままに放置された面庄頭が、それこそゴロゴロ残っていました。
私の丸平コレクションのうち二番親王尺三寸二十四人揃は、丸平さんに残されたそうした面庄頭だけで作ったのですが、親王以外は五月人形頭の寄せ集めだったため、不足した頭は改作によって調達してもいるのです。
実例をご覧に入れると、最初の挿図にある大将の頭は明治期に制作されたものでしょうが、どうも随臣としての写実性が叶わず、別の大将頭に換え得た機会に楽太鼓の頭として改作したのです。眉を拭き取り天眉風に書き直し、思い切って髭も削り取ったのが下の画像です。それは私にとって、楽太鼓に最適と言うべき変貌ぶりだったのでした。
十二世面庄の貴重な頭に手を入れるなど、或いは不遜と言うほど大胆極まりないのでしょうけれど、こうした転用もまた伝統工法であればこそ出来ることなのです。

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