芸術の秋とは申せ、紅葉にすらさほどの興味を覚えない私ですから、秋たけなわになるほど何だか作りたい花も光景もなくなってしまい、有職造花の制作は止まらざるを得ない状態になっているのです。どうもこの季節とは愛称が良くないのかもしれません。
そんなわけで、随分以前から制作依頼準備に掛かっていた、尺三寸という大きな五節舞姫のために、檜扇や衵の花を作ったり、リアルさを重んじたおすべらかしの型紙故に、誰も引き受けてくれなかった結髪をとうとう自分でして、新たに作った絵元結を結んだり、装束の襲ねも様々プランしてみたりと、手持ち無沙汰の日々をそんな準備で過ごしていたのです。
そんな事をしていたら、丸平さんから預かっていた十二世面庄作描き目子供頭に胴体をつけてみたくなってしまい、御所人形のように桐を彫り始めました。
この面庄頭は、昭和4年頃迄に作られた物ですが、いったいどんな人形に仕立てられたものだったのか分からない珍しい頭で、無表情に前を向く頭、笑っている頭、斜め上を見上げる頭の3つなのです。頗る出来の良い頭の事ですし、手にしてから色々使い途を考えては来たのですが、それぞれを仕丁の子供のような設定にして、背中によじ登らせたり、脇に立たせたり、しゃがんで見上げさせたりと、三様に絡ませてみたらどうかと思い付いたのです。『何でそんなに可笑しいの?』『何でそんなに怒ってるの?』『何でそんなに悲しいの?』という、ちょっと皮肉な取り合わせを可能にさせる頭なのですから。
さて手始めは、笑い上戸に絡ませる子供の制作で、酔っ払って仰け反りながら笑っている仕丁の脇に立ち、妙に冷静に斜め上を見上げながら、『何がそんなに可笑しいの?』とでも言いたそうな子供に仕立てたいのですが、にわか人形師の事でさてどうなりますことやら、仕上がりは自分にも分かりません。
しかし、子供の手やら三頭身半の体型やら、その制作は色々な事を学ばせてくれます。もちろん着物も自分で縫いますが、一枚きりの袷の着物を着せるだけのことながら、まだまだ木綿の登場まで何百年も待たなければならない時代の事でもあり、春浅い時期に平安時代の子供たちはどんな着物を着ていたものか、随分寒かっただろうに...とか思い巡らせてしまうのです。