数年前からプランを練って来た五節舞姫が、いよいよ出来上がりそうなのです。
年を取ると気が長くなるのか、焦ることもなく徐々に必要な小道具(檜扇、衵の花と糸、櫛、日陰の蔓、絵元結、手足、足袋)を作って揃えて来たのですが、その初っぱなが心葉だったのです。
先ず原寸の図面を引き、以前から金具を制作して頂いて来た湯沢さんという金工の方に発注して、細かいやり直しを何度もお願いしてやっと完成出来てから、もう3年以上過ぎていました。湯沢さんはいつでも真摯に対応して下さるので、有り難く感謝しています。
以前、このコーナーで書いた(にわか人形師)通り、理想的な形のおすべらかしは、とうとう髪付け師では叶えられず、自分で結う事になったり、準備の最後に残った衣装についても、何年も様々な生地を何度も襲ねてみて来て、何とか昨秋遅くに決められたのでした。
そうやってやっと昨年の暮れ、丸平さんに依頼する事が出来たのですが、いっその事『裳』の文様も自分で描いてしまおうと丸平さんに話すと、昭和天皇即位の際に踊られた五節舞姫の画像を送って頂きましたので、そこで確認出来た裳の文様を描く事が出来たのです。典型的な雲の文様でした。
先ず全体の形を生地の表裏に胡粉で塗りつぶして滲み止めとしてから、その上に黒群青の岩絵の具で彩色。それから、黄鼠の岩絵の具で文様を線描きしました。
文様の色を黄鼠にしたのは、絹の事で決して純白ではありませんし、経年により黄ばむ宿命にもあり、胡粉では白過ぎてしまうからなのです。
文様は絵画でも書道でもありませんから、フリーハンドで描き込むのに、あまり筆に強弱や勢いがあってはいけません。だからといって判子のようになってはつまらないのだけれど、幾種類もの雲文様部分の位置は、判で押したように正確であるに越したことはないというのですから、そもそも私の手に負えるものではなかったようで、とにかく出来上がりには開き直りしかないという有り様なのでした。
本来この雲文様は五段に描かれているのですが、寸法の限界から三段に止めてあります。
裳が描き上がったところで、小腰の紐やらに刺繍を入れたりの行程が残りますから、直ぐに完成というわけにはいかないものの、案外五月の声を聞かないうちに五節舞姫誕生という事になるのかもしれません。
その際は、併設したホームページ『丸平コレクション』で御披露目させて頂きましょう。