二十代の中頃、詩人の立原道造に少しだけ傾倒していたことがあり、信濃追分を歩いてみたり、幾篇かの詩によって放送劇の脚本を書いたりしたこともあったのでしたが、そもそも憧憬のきっかけが『萱草に寄す』という詩だったにもかかわらず、萱草(ワスレグサ)がヤブカンゾウだと知ったのは、恥ずかしながらこの制作によってなのです。
立原道造の詩に登場するユウスゲはユリ科ワスレグサ属のキスゲなのですから、彼が詩に詠んだ萱草はヤブカンゾウに間違いないでしょう。彼の詩は、この花のある光景で、なるほど信濃追分ならでこそだったというわけなのです。
そもそも『忘れ草』という記述が『忘れな草』と混同させてしまうのでしょうけれど、『忘れな草』という邦題のイタリア映画の中で、F.タリアヴィーニによって歌われた事で一世を風靡した『Non ti scordar di me(私を忘れないで)』というカンツォーネも大好きだった私ですから、色々な混同と不勉強が重なり、ずっと曖昧なまま年月を重ねてのヤブカンゾウ制作だったのです。
数年前から実家の庭にもヤブカンゾウが現れ出したのですが、肌寒さすら感じる日もあるような、梅雨に入って間もない時期の緑といったら未だ潤いに溢れていて、そんな緑の中に突き出て咲く鮮烈なオレンジ色と、八重の花が織りなす形に私は魅せられてしまったのです。
昨年の今頃から、いつか有職造花で作ろうと思い続けていた花々の制作を続けて来ていて、とうとう泰山木までに至ってからのヤブカンゾウ制作なのですが、やっと一輪だけ開いた花はその名の由来通りに一日で萎れてしまい、それ故インターネットや図鑑で調べるうちに『萱草に寄す』の萱草がヤブカンゾウなのだと知ることになったのでした。
写真は実物を写すのですから、これ以上正確で詳しいものは無かろうはずなのですが、殊更八重で花びらが重なっている場合などは、個々の花びらの形がどうとか、何枚あるのだとかいう具体的な事となると甚だ分かり難いものなのです。
そこで絵で描かれた図鑑の必要性というものがあるのでしょうし、実際現物に当たれない場合には、写真でなく絵で描かれたものがあるに越したことはないのです。この制作でも、インターネットからの画像だと、メインとなる花びらが6枚あることに気付けず、最初は3枚で作ってしまったのです。
先ず、雄蕊を取り囲むようにクシャクシャの花びらのようなものが3枚あり、それからメインの花びらが3枚ずつ二段に重なるのですが、その成り立ちはユリよりも菖蒲によく似ていますから、鏝当ても菖蒲のようにしてあります。
花びらの中央に通る白い筋は、実際だとそれほどハッキリしているわけではないのですが、淡い黄鼠に染めた絹サテンを1㎜にも満たない筋に切って貼り付けることで、サテンの光沢に助けられ、スッキリと仕上がっているのです。
ヤブカンゾウの葉は、長く伸びた茎のずっと下の方だけに細く長い葉をこんもりと繁らせるのですから、平薬のような限定された空間に仕立てる時、茎ばかり突き出る景観を表すには、出来るだけ少なくまとめて、しかも遠近法を逆手に取るような方法を使うしかありません。
さて、コラボさせたツバメですが、一月ほど前に柳に飛ぶツバメの平薬を作った時、大好きなツバメのことで木彫り彩色が楽しく4羽も作ったものの、一番最後に作ったツバメは使わずに残っていたのです。季節も合うことだしとヤブカンゾウの上に飛ばしてしまったら、ツバメの黒が花の鮮やかさを緩和するばかりか引き締めもしたようで、思いがけない相性の良さには、作った本人が驚いているのです。
それこそ遙かな昔、立原道造に憧憬を抱いた時期の象徴としてあったのが『萱草に寄す』という詩でしたが、梅雨のこの時期に私が特別の感情で眺めていたのは、奇しくも萱草という同じ花なのでした。
きっと人生はどこかで繋がって居続けているもので、必ず何らの結末を持つものなのだという事なのかもしれません。