一昨年から『書院懸物図』という版本にある、藤原定家が12ヶ月の花と鳥を詠んだ和歌をモチーフにした図案の復元をしてきています。
『書院懸物図』は、京都の古本屋で売りに出たのですが、そもそも江戸で編纂されたもので、花に組み合わされた鳥は押し絵で作るのだと書かれているように、言わば江戸趣味とでも言うべきものなのでした。それが随分通俗に見えて、84000円も出して買ったというのに、10数年もほったらかしにしていたのです。
一昨年、ふと取りだして改めて眺めた時、鳥を木彫り彩色にしたら公家風にもなるのではないかと、試しに6月の『鵜と常夏(撫子)』を作ってみたら、品位ばかりか穏やかな優しさのようなものまで加わった気がして、あながちこの図案も捨てたものではないのではないかと思えたのです。
以来復元はトントン拍子に進んで、結構お気に入りにすらなってしまったのですが、7月の平薬だけは花が女郎花なために復元出来ず、2年間もそのままになっていました。
こうした図案は、12ヶ月の花だけのものが京都御所に伝わっていて、それはもう15年も前に復元したのですが、その時は女郎花も作ったのです。
しかし、素材に無理があり過ぎたりで、それ以来別の方法で女郎花らしきものを作って来てはいたのですが、有職造花として正当とは思えないその方法に納得がいかず、そんなままで新たな復元に向かう気になれなかったのです。
この梅雨、初めて鮮やかな橙色の花の平薬を作って充実していたものの、有職造花制作が続くと木彫りをしたくなってくるので、ならばと復元出来ていない平薬に飛ぶ3羽のカササギを作ってみたら、その木彫り彩色が思いのほか可愛らしかったのです。そのままにしておくのが勿体ない気持ちになってしまうと、もう納得いかないことなどさっさと棚に上げて女郎花を作るなり、置き去りにされていた復元は完成してしまったのでした。
この図案は、結局色彩構成に最大の意図があったのかと思われるほどその対比が美しく、7月(新暦8月)の猛暑の中に飾られて清涼感をもたらすような配分にすら思えるのです。
私も涼しげな気持ちで出来上がった平薬を眺めてはいるのですが、女郎花の作り方ばかりはどうにもならないままです。図案は所詮絵空事。有職造花で女郎花が作られた事など、実は無かったのではないかと思ってもいるのです。