野アザミとモンシロチョウの平薬を作り終えても、何だか手の疼きのようなものがちっとも納まらず、季節の青栗に梟(ふくろう)を組み合わせたらとひらめいて『原色精密日本鳥類写生大図譜』を見ていたら、モクレンと組み合わされたヤマムスメという、決して派手ではない深いコバルト系統の藍色を羽色にした尾の長い野鳥に惹かれてしまいました。そして咄嗟に、辛夷(こぶし)と組み合わせようと思い立ったのです。
春まだ浅く、枯枝(カレシ)も山の賑わいと裸の小枝ばかりが重なり合う山野に、突然溢れるような白い花を咲かせる辛夷ですが、極々淡い、ほんの少しばかり薄黄色を感じさせる花が群生したところで、枯山に鮮やかなわけではありません。しかし、その花の中にヤマムスメの深い青の羽色を置いた平薬にしたなら、きっとそんな辛夷の色と相乗効果を生み出すことになるだろうと胸がわくわくしても思えたのです。
そうなると、野アザミの次は青栗と梟の平薬を...などと意気込んでいたものの、栗のイガの造形を勘違いしていたことが分かったり、モクレンの制作によって辛夷を作るのに躊躇も無くなっていたりで、いつものことながら興味の優先に梟の木彫り彩色などさっさと後回しにして、全く季節の違う辛夷を作り始めてしまったというわけです。
さて、辛夷の花は木蓮ほど大きくもないので、花弁の真ん中に針金を入れるのは同じながら、光沢のあるもう少し薄い生地を和紙の両側に貼ることにしました。問題なのはやはり蕊(シベ)だったのですが、雄蕊が割合に太くハッキリしているようですので、1㎜にも満たない太さに切った木材を5㎜前後の長さにして、それを萼の土台に1本ずつ植え付けてから彩色し、別に誂えた雌蕊を後から差し込んだのです。この方法は、単なる自然の造形模倣というよりも、有職造花としての様式化に繋がる仕上がりになりましたが、そればかりか応用も利く思わぬ収穫になったようです。
辛夷の葉が出るのは花も終わる頃のようですから、春も名残の時期に設定して若葉を繁らせたモクレンの平薬と違えて、花と蕾ばかりにしたのですが、やがて現れる若葉を象徴する意図と色彩配分から、直径30cmの籐の環に若葉の色に染めた絹を巻きました。
この辛夷の制作ではもう一つ技法上の収穫がありました。クシャクシャとした辛夷の花弁とする鏝当から思いがけず、ずっと作りあぐねていた山茶花の花弁の鏝当てにヒントを得たのです。気付いてみれば何と言うこともないことが多いものですから、作り続けることだけが様々な可能性を開拓する唯一の手段ということなのでしょう。
『最良のものは過去にあってはならず、常に将来にあるものでなければならない。』
つくづくそうでなければと、些細な毎日が教えてくれるのです。