葛の花の平薬を作りたいとずっと願い続けていたのですが、大きな葉が群がって繁る様を直径30cmの環に収める事の難しさに躊躇していたのです。
春先からずっと、新しく作る花ばかりでオリジナルの平薬を作って来たのですが、その手はまるで止まる気配もなく、何かが完成に近付くと、次の制作を思い付くまで間が空いて手持ち無沙汰になるのではないかと、ソワソワ落ち着かなくなって来るのです。まるで禁断症状のようですが、全く作れない、作る気にもなれなかった時期と正反対ですから、きっと何らかの厄介なサイクルでもあるのでしょうけれど、辛夷(こぶし)の平薬を作り終えてしまって直ぐ、葛の向こうに満月が覗く平薬を思い立ったのでした。
私のそうしたひらめきは、深夜の長風呂で湯船に浸かっている時に飛び出すことが多いのですが、思い付いた瞬間といったら、それこそ安堵の心持ちなのです。そしてその直後から、葛の葉をどんな色にしようかとか、満月をどんな大きさにして、どこにどうやって配置しようかとか考え始めるのです。そうなると、駅からの道を歩いている最中にすら、鏝当ての方法とかを頭の中でシミュレーションしていたり、時には夢の中ですら制作上の解決策を探っていたりするようになるのです。
さて、葛の花は藤のようなものですから別に難しくもないのですが、上の花弁の中間にハッキリした黄色が入っていますので、端布の中から相応しい色を見つけ出して直径2㎜ほどに切り抜き、一つ一つ花弁に貼り付けなければなりません。ピンセットを使って根気よく貼っていくのですが、それは厄介といえば厄介で面倒な部類なのでしょうけれど、日本刺繍や有職造花の作業というのは、そもそも遅々としてなかなか進んでくれない繰り返しが基本なのです。
満月は桐の板です。先ず胡粉塗りしてから墨汁で黒塗りし、更に純銀を下塗りしてから純金泥で仕上げてあります。直ぐに金泥を塗るよりも、純銀の上に薄い純金泥を塗り重ねることで、歌劇『ルサルカ』の中で歌われる『月は白銀に輝き』の如く、月の光を一切遮らない秋の夜ならではの大気というものを、少しでもこの満月から漂わせてみたかったのです。
しかしこんな風に、いわば自分の理想型としての秋の光景は確かにありながら、どうも私は秋という季節が好きになれないのです。正直なもので、ですから秋の平薬には意欲的なものがあまり見られません。ただ、夏の終わりを告げるように鳴き始めた秋の虫が、庭のそこかしこに声を響かせる季節ばかりは、毎年特別な思いで迎えます。そうした期間は思いの外短く、虫の声が日に日に減っていつの間にか耳に届かなくなると紅葉の季節を迎えるのですが、私は紅葉にも別段の風情を感じず、さほどの興味も覚えません。
季節に添った制作が一番と考える私ですから、作りたいと願うものが季節の中に見つけられなるだろうことを、今はとりわけ危惧しています。そうなったら...そう、いっそ木賊(とくさ)という山の中の温泉に一軒だけあるお気に入りの旅館に長逗留を決め込んで、ずっと続いた制作の手を無期限に休めてしまおうかとか、出来もしない、出来る環境にもない身にも拘わらずぼんやりと思い巡らせたりしてしまうのも、案外秋の訪れ故のことなのかもしれません。