身辺に厄介なことばかりが押し寄せているというにもかかわらず、どうしたわけか平薬制作の手は一向に止まりません。未だに完成の先が見えてくると、次は何の制作に向かおうかという方が差し迫った一大事になってしまって、完成など意味が無くなってしまうままなのです。間違いなく完成できるという確信が得られると、途端に『過去の産物』になってしまうからなのでしょう。
秋が好きになれないでいるせいなのか、今まで作った秋の平薬には意欲的なものがいくらも見られなかったくらいですから、残暑のうちから、季節の触発を得られないだろうこれからの数ヶ月をいったいどうやって過ごしたらよいかと憂鬱になるほどだったというのに、いざ秋になってしまえば何やかやと考えつくもので、どうやら凡そ要らぬ気苦労だったようです。
葛に満月を組み合わせるなどというのはお得意の発想なのですが、木彫り彩色の野鳥が加わるから出来たものとはいえ、イチョウで平薬が出来上がるなどとは思いもしなかったのです。結局のところその季節になればなったで、好きだろうが苦手だろうが、日常は否応なくその季節に包まれるのですから、そこでどんな触発を受けるかなど予測など出来ないし、する意味などもないということなのでしょう。同じ風景なりをどう捉えるかというのも、1年前と同じであるとは限らないのだし、そもそも人生はそうでない方が楽しいに決まっているのです。
次に作るものの思い付きというのはいつも突然のことで、これだと思えるものが、思いもつかないところからいきなり降ってくるのです。秋も始まったばかりの今頃ならではの光景をと考えていたら、その昔、秋に行われた展覧会のポスターのために描いた、たわわに実った重さで垂れる柿の小枝を思い出したのです。
実るにはまだ早い今の時期に真っ赤に色付く柿というのは、茎やらに虫が入っているからだったりと、自然に熟したものではないものが多く、それで小粒のままだったり、真っ青な柿と隣り合わせに付いていたりするのですが、その極端な色の対比こそこの時期の光景ならではの見所に違いありません。酒井抱一の軸にも柿の実を描いたものが幾つかあるのですが、それを有職造花 にするとしたなら、柿の実ばかりは木彫り彩色にしてはならないのではないかと考えていたこともあり、染めた絹を円く縫い括って綿入れする方法で直ぐに試作したのです。質感といい色彩といいまるで和菓子のようだけれど、有職造花ならではの鏝当てによる萼をつければどうやら何とか行けそうだったのでした。
もちろん今回も野鳥を組み合わせます。色づいた柿を狙うように、垂れた小枝にしがみついているポーズを思い浮かべたのですが、私の制作などいつでもその時の風まかせですから、鳥を彫ってからでなくては分かりません。ただ、鳥はヒヨドリにしたいのです。あの喧しく図々しい顰蹙の野鳥です。
顰蹙...そういえば宮古島でさえ"ピーピーマッチャ"と呼ばれて、嫌われていましたっけ。だもの、せめて精一杯愛らしく彩色してみましょうか。