山茶花というと八重が当たり前のようで、私自身も一重の山茶花を知った時には、本来山茶花というのはこういうものなのかというような衝撃を覚えたのです。山吹もそうだったのですが、それまで八重ばかりを身近にしていた目で急に一重の花に巡り会うと、その美感への感動のようなものが増長されるのでしょうか、それからは八重の山茶花に目が行かなくなってしまった程なのでした。
一重の山茶花は八重と違って椿とまるで違いますが、葉も榊のようで椿の葉と随分違っているのです。そもそも咲き始めの時期が違うのですが、長く咲き続けたりする八重の山茶花のように、八重椿と混同する事もありません。残念なほど花の寿命が短いようで、花弁が早くからはらはらと散って道に散らばっていたりしますが、それがまた美しく思わず手に取ってしまいます。一重の山茶花を有職造花にしたいと願い始めたのも、そうして魅せられてしまったのと同時のことだったでしょうけれど、花弁が殆ど芯から真横に伸びて咲きますから、それをどうやって有職造花で咲かせたら良いのか、また頼りないように不規則にたわんだりしている花弁の鏝当てに方法が思い当たらなかったとか、主に技術的な懸念から制作出来ないで来たのです。
以前にも触れているのですが、有職造花の鏝当てというのは、実物の再現とは少し違ったところが特徴でもあるのです。絶対的に自然の成り立ちを踏まえていなければならないのですが、しかし、実物の再現を目指すというよりも、例えば橘の葉の鏝当てに代表されるように、何通りもあるわけではない有職造花に特徴的な鏝当てというものに、実物を当て嵌めてしまうといった逆転の要素が強いのです。必ずしも実物はそんな形になっているわけではないということ自体が、有職造花の様式に成り得ているということでしょうか。それを踏まえてしまえば、山茶花の鏝当ても別段実物の様(さま)に囚われることなく出来てしまったのでした。
この制作のために図鑑で調べてみると、私の魅せられた山茶花というのは、花弁こそ『田毎の月(たごとのつき)』と呼ばれる純白の花と同じに長いものながら、花弁がもっと短いらしい『酒中花(しゅちゅうか』と呼ばれる山茶花のように、真っ白な花弁の先端に少しだけ紅が注されているのです。何れにせよ白が基本なのですから、厚さも光沢もある上等な白絹を使って作ってみたのです。あくまでも偶然の賜ではあるのですが、紅の暈かしも上手くいったようで安心しました。これにも小禽を組み合わせようと考えていたのですが、かえって一重の山茶花ならではの趣が削がれてしまうように思えて、久しぶりに花だけの平薬になりました。
気分よく完成させることが出来た余韻のまま、昨夜はゆったりした気分で眺められて、撮影も済ませたのでしたが、今朝はもう次は何を作ろうかと、落ち着かない悩みが始まっているのです。