琳派の中でもとりわけ惹かれるのが酒井抱一だとは、今までに書いてきた通り。烏滸がましいにも程がある...というのは重々承知しながら言うのですが、宗達ほど重くもなく、光琳ほど足元にも近寄れない天才の閃きに怯えなくても済むような親しみやすさが先ずあって、更に生活の匂いすらある画風と小動物に向ける眼差しに、先の二人にはない身近な共感で、抱一だけが私を傍に置かせてくれるのです。
京都御所で発達した有職造花とは言え、基本的には目に優しい飾り物ですから、裕福な庶民に下り得たのだったのでしょうし、より柔和な時代と環境に身を置けた抱一ならではの画風だからこそ、そのまま有職造花の参考になるというものなのでしょうけれど、恐らく...と言うしかないのですが、抱一が上方の生まれでないというところは、やはり共感の根源にあるのだと思わざるを得ないでも居るのです。
そんな抱一の作品を元にして作った平薬が既に4つあるのですが、少し前から興味を寄せていたのは、十二ヶ月を描いた軸の十月である『柿烏図』なのでした。赤く熟れて取り残された柿と、ほんの僅かな葉。そして枝に止まる烏を、限られた色彩でスッキリとまとめた作品ですが、絹で綿を包んだ柿の平薬を作ってから、いよいよそれを平薬に仕立てる望みが膨れ上がったのです。勿論、烏の木彫り彩色にもとても興味がありました。
何しろ琳派の絵ですから、デフォルメされたポーズを立体に起こすのはなかなか厄介で、この烏もまたそれに違わず首の向きがハッキリしないのです。見誤って彫ってしまった可能性の方が強いのですが、何れにせよ長い軸の構成をそのまま平薬に乗せることなど果たせるわけもなく、厳密な再現などと出来もしないことは始めから言わず、『夏草図屏風』を元にしての平薬制作でしたように、絵の一部を切り取ったり、更に間隔を縮めたりしながら、意臨というほど堅苦しくも捉えず、好きなように直径30cmの輪の中に構成させてもらったのです。
烏の木彫り彩色は、ツバメの時のように羽根や胴体には切り込みを入れたりせず、彩色された上から平面に絵を描くのと同じように、羽根の筋やらを純銀などで 線書きしてあります。
それにしても烏の体型というのは小鳥とは随分違っていて、なかなか烏になってくれないので難儀しました。烏ゆえにこの平薬が料亭などに飾られる事はないでしょうけれど、昔の屏風絵には烏尽くしとでもいうほど沢山の烏で埋め尽くしたものがあるのは何故なのでしょう。烏の姿を見ただけで、遥かに遠回りであろうが迂回を厭わない友人など卒倒するような屏風が幾つもあるのです。
この平薬は真ん中に大きな空間があり、何しろ柿と烏だけなのですから、寂しいと言えば寂しい、殺風景とは言えばそれも否定出来ない、それが晩秋だ、初冬の景色だと開き直るのも良いでしょうけれど、その空間に五色紐は合わないだろうと思いきや、不思議なほど五色紐によって空間が生かされたのには驚いてしまいました。
出来上がりは冬の平薬で是非ご覧下さい。