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■ 近頃のこと

2016/01/14

ヤフオクで落とした武官立像

日常から解放された暮れのこと、眠くて眠くてちょっと横になったものの、ヤフオクに丸平さんの雛でも出されていないか、寝入るまで久しぶりに覗いてみようと開いてみれば、そこには明らかに五世大木平蔵時代に制作された、高さ62cmという大きな武官の立像が、何と夏物の生地での闕腋袍を着て現れたのです。しかも、袖の後ろに少しだけ覗く赤の単(ひとえ)は板引きではありませんか!もちろん十二世面庄頭であったことは言うまでもありません。私はずっと、夏物の袍で丸平男雛をと願い続けていながら諦めざるを得なくていたものですから、仰天して飛び起き詳細画像を開いて見れば、半臂の忘れ緒すら着用しています。しかも、僅かに60000円の即決価格だというのです。
武官は何も待たず、ただ袖に両手を入れたまま前に付きだしているだけなのですが、出品者による題名が『源頼家立像』とあるので、 直ぐに友人の人形研究家に電話して聞いてみると、源頼家とは八幡太郎義家の父親で、赤ん坊の義家を鎧の片袖に乗せて御所に参内する場面が『源太の産着』という五月人形の定番として昔はよく作られたばかりか、私にとって特別な彫刻家である山崎朝雲の作品にも、その場面のものがあるというのです。冠の一部やおいかけが壊れていたりするのはともかく、商標の貼られた箱が失われていることで、丸平作という根拠を示せないからの値段なのでしょうけれど、丸平さんの仕事かどうかなど一目見れば分かること。冠やおいかけは自作し、箱は保管のために新調すれば良いだけで、私に必要なのは、それが本当に源頼家像だという確証なのです。そうであるなら、鎧の片袖は発注し、赤ん坊は自分で木彫り彩色して補う事になるのですから、それはそれで大いに楽しみというものなのでした。
ともかく丸平さんに連絡してみると、夏の装束など見たことがないけれど、半臂や板引きの単などと凝りに凝った作りならば、きっと喜十郎の仕事に違いないと仰います。私はあまりにキッチリとした喜十郎の人形を好んで来なかったし、いかにも脱ぎ着せらしいたっぷりとした寸法取りや着付けから、五世作と言わずとも当時の番頭さんの仕事ではないかと、自分の見立てをお話ししたのですが、しばらくして今度は丸平さんから電話が入り、推察の通り喜十郎ではなく五世の作に違いない。当時の寸法帖をはぐってみたら、尺一寸・尺二寸『源太の産着』とあって、事細かく半臂の寸法まで書かれていたのだそうです。又、そもそも寸法帖にない大型の人形で、しかも脱ぎ着せならば五世作を決定づけるものだと仰います。どんなに優れた作り手の一番番頭であろうが、専任の縫い手を持たない番頭には、脱ぎ着せ制作が出来なかったからなのだそうです。直ぐに落札しました。
その翌々日にはもう手許に届いたのですが、箱から現れた姿は期待を遙かに上回るものでした。或いは木彫りの一品物かもしれない頭は、若い武人の何とも言えない色香が溢れ出ているし、幾分押し潰されているとはいえ、それこそたっぷりと仕立てられた闕腋袍の見事なこと。もちろん単は板引きでした。袍・半臂・下襲・単とも、袖口から裾から捻り仕立て。中でも、羽二重による無紋の表袴といったら襠付きで、その端正な仕立てには惚れ惚れさせられるばかりです。やはり、襦袢まで一枚に仕立てられた脱ぎ着せなのでした。経年の埃を払い、押し潰された袖に綿を詰めて整形し、翌日から冠の修復に着手し、3日後にはおいかけと巻纓までの新調を終えました。同時に鎧の片袖の寸法を推定して型紙を作り、また義家の赤ん坊を描いてそれに乗せてみたりしたのですが、そんな復元作業を進めるほど、私の中で疑問ばかりが深まって行ったのです。
そもそもこの武官の両手は、袖の中で上向きに開いているだけなのです。鎧の袖は両側にたわむように編まれているのですから、鎧の片袖だけを乗せようとしたところで、それでは下に滑り落ちてしまうでしょう。ましてや赤ん坊を乗せるなど物理的に考えられないのですが、それが証拠に山崎朝雲の木像は、鎧の片袖の両端を上下に引っ張って、赤ん坊が落ちないようにしているのです。そしてまた、赤ん坊の大きさを武官の身長の比率から割り出した時、どんなに小さめに設定したところで、この像の手の位置では赤ん坊の顔が武官の目と鼻の先にまで迫り過ぎてしまうのです。そして、それにしては武官の表情がとても厳格に固く、我が子を見守るというような表情ではさらさら無いのです。それやこれや、私にはこの武官が源頼家とは考えられないのでした。
ならば、誰なのか。武家の女房などが刀を渡される時、袖の中に手を入れて抱えるように受け取るシーンを時代劇などで目にしますが、この立像が敢えて袖の中に両手を入れているのも、例えば三種の神器の鉾を捧げ持つとか、何らかの御神刀を持つ姿だとすると説明がつくのですが、だからといって誰という限定が出来るわけでは更々ありません。それどころか、いわば脇役のする役柄に、こんなにも大きく特別中の特別の仕立てをする意味などあるだろうかと説明もつかず、結論は杳(よう)として出ないままなのです。
それにしても何という見事な武官でしょうか。丸平さんの五月人形のうちでも特別の出来ではないかと、そればかりは紛れもない事実だと話ながらも、武官のミステリアスな表情さながらに、謎は深まるばかりでいるのです。 

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