以前から依頼されていた四番御引直衣立像の手や持ち物などの小道具類を完成させてしまうなり、突然急ぎの注文が入った羽子板を仕上げながらも、ヤフオクで落とした武官に宝刀を持たせてみたくて、色々と寸法を図ったりしながら、その制作も同時進行させていました。
宝刀とはいえ、太刀は昔の五月人形で使われた小道具の残りを丸平さんに送って頂いたものなのですが、それに合わせて檜で作った縦横一寸、長さ一尺の箱に納め、それを錦の袋に入れて、あたかも草薙の剱のように武官に捧げ持たせるというプランなのです。袋の生地もまた丸平さんから頂いていたものに紅絹の裏地を付けて縫ったのですが、生地は屏風の縁に使うために織らせたものだそうで、見る角度によって光沢のある色が変化して見える、小葵に花菱の文様です。何種類か送って頂いたもののうち、袍の色との対比が相応しかった一つを選んで仕立てたのですが、しなやかに柔らかくとても縫いやすい生地で、私などの仕立てでさえ高い格調を示してくれたのでした。箱を入れて折り返したところを括る紐には、銀朱(はねず)とでもいうような赤茶色の絹紐が合いましたので、縮尺からして無理のない細い絹紐に房を付け、それを巻いての蝶結びで仕上げたのですが、一尺という寸法のせいなのでしょうけれど、出来上がった袋だけを置くと懐剣にしか見えないのです。果たしてこれが宝剣を入れた袋に見えるのだろうかと心配しながら武官に持たせてみたのですが、良くしたもので持つ物の縮尺寸法で目が捉えるものですから、別段おかしくも違和感もなく収まったので安心したのです。それでも、どうもピンと来ない気持ちが消せません。宝刀を袍の袖越しに持つという動作に、自然さが見出だせないのです。いくらなんでも両手が袖の中に埋もれ過ぎているように感じてしまうのです。そもそも、オークションに載せられた画像の時点で、たっぷりと仕立てられた袖が随分胴体側に押し潰されていたのですから、何らかの物に挟まれていたり、重い物の下敷きになっていたとかの保管環境の要因によって、腕の針金もまた内側に押し曲げられたという可能性もあるのです。それにしても、この疑いようもない特別の制作による、並はずれて優れた立像がいったい何の人形だったのかということは、丸平さんに記録がないのですから、今後も知れる事はないでしょう。否定せざるを得なかった『源太の産着』という推測ですら、そもそも握り持たせる事の出来ない人形の手のことなのですから、たとえどれだけ無理があろうとも、上向きに開いて差し出された両手に、敢えて板状に仕立てた鎧の片袖を載せ、あたかも武内宿彌が抱く応神天皇のような蓑虫まがいの赤ん坊をその上に載せることで『源太の産着』とした可能性だって無いとは言えないのではないかと思うのです。もちろん、源頼義が闕腋袍を着る事など有り得るだろうか...などという疑問の追求も、決して相応しくはないでしょう。しかし私は、これほどの武官立像ならばこそ、そうしたまとめ方をしたくはなかったのです。人形としてなら、どんなに妥当性のある『知りきった今更の嘘』であろうともです。
しかし、そう言っていながらの真逆に、有職造花の作り手である私であればこそ、夏物の装束に違わない挿頭花を付ける『嘘』を試してみたくて堪らなくているのです。山吹、山藤、卯の花。そう!とりわけ卯の花の翳し花など美しいことこの上ないことでしょう。敢えてつく嘘というならば、その方がよほど気が利いて思えるのです。だいたい洒落ているし、ロマンチックではありませんか。
でも直径が5㎜ばかりの卯の花となると、例え『嘘』でも易しいとは言い難いのですけれど。