私の生まれ育った地域の習俗だと、切子燈籠というのは本来亡くなった親の新盆に、婚姻で家から出たり独立した子どもが一対ずつ献げるものなのです。決して安いものではないし場所も取るし、幾つもあったところで仕方がないというので、子ども達がお金を出し合って一対だけ誂えたものでしたが、亡くなった母に私がしてあげられる事など、もはや有職造花の技術を駆使しての切子燈籠制作くらいのものなのですから、早々と制作に掛かっていたのです。
切子燈籠は新盆の棚に十日ほど飾られ、送り盆の夜に墓地に運んで墓前に下げて来るのですから、結局雨ざらしにされて朽ちるのです。去年、依頼によって一つだけ制作した絹の切子燈籠といったら、何とも贅沢なものでしたが、それは工芸品として保存されるものだったからのことで、今回の切子燈籠は雨ざらしが前提なのですから、針金に巻く絹糸以外は全て和紙で作ったのです。
有職造花にも、例えば花弁など和紙で作る部分はあるのですが、肝心の花や葉を和紙で作ることはありませんから、今回の和紙を素材としての有職造花制作は初めてなのです。和紙には先ず膠液を施しますが、鏝当てなどの制作過程は全く変わりません。基本的には絹のように染めたりせず色和紙を使いましたが、そのせいか随分と清楚にサッパリと仕上がり、その涼しげな情緒は真夏の盆飾りに至極相応しいように思えます。
私は四人兄弟ですので、四対の切子燈籠を制作したのですが、四つの組み物というので一対ずつに春夏秋冬を当て嵌めたのです。春の切子燈籠には、牡丹と桜。夏には菖蒲と朝顔。秋には桔梗と蔦に小菊。冬には雪の積もった竹に白椿という構成です。切子燈籠には、本体の四方に家紋を置 き、本体の下には四尺ほどの和紙に戒名を切り抜いて下げるのを常とするものの、そもそも私は家紋自体がデザインとしても好きになれないのです。また、助平面した坊主が付けた母の戒名といったら凡そ満足出来るものでは無かったのもあって、家紋が入る場所には○の中に草書体にデザインした春夏秋冬という漢字を切り抜いて入れ、下げ紙もただ下げるだけにして、あたかも浮世絵に見る軒下の切子燈籠の如くにしようと思っていたのです。しかし、せっかくメインの紙の上に薄紙を重ねた事だし、せめて水紋くらいはと切り抜いているうちにふと思い付いて、家紋の沢潟(おもだか)だけを川面に切り抜いてみたのです。
さて、一口に切子燈籠といっても、ネット検索をしてみると実に様々な仕様があるのには、今更ながら驚かされてしまいます。大きさや縦横斜めの比率も様々なら、全く装飾を廃した白木の簡素なものから、呆れかえるほど下卑たものまで多種多様に見られます。宇宙と交信でもするのかと思うような形のものすらありますし、詳しく知るわけではないのですが、どうやら用途も様々なようです。もちろん私が作る工芸色の濃い切子燈籠だって、別の地域の方々の目からしたら随分奇異に見えるのかもしれません。一番大きなものでは一辺が一尺五寸近い切子燈籠まで作ったのですが、一辺が七寸という理想の寸法に辿り着いてみれば、奇しくも正三角形の集合体だったのです。私の作った切子燈籠ならば、どんなサイズであろうと共通したのは有職造花師としての装飾性でしょう。それが大木素十の切子燈籠ということになるのでしょうけれど、母の墓前に朽ちるのを本望とした今回の切子燈籠の制作をもって、打ち止めかと思います。