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■ 近頃のこと

2016/08/18

新盆飾りと仏送りと

この8月は、5月に亡くなった母の新盆だったのです。この地区では、新盆だと8月7日に特別の盆棚を作らなければならず、昔は近所が集まって設えたものだったのです。
切ってきた真竹を組んで巾6尺奥行4尺ほどの箱のような囲いを作り、竹と竹との間に真っ白なさらしを張った新盆ならではの棚なのですが、その作業を『棚吊り(たなつり)』といったのです。
棚吊りは1日がかりです。どうしたわけか昼飯は冷や麦と決まっていたものの、刺身やら天ぷらやらの料理を用意しなければならないし、もちろん酒を振る舞わなくてはなりません。そんな人寄せを面倒としたのが一番だったのでしょうけれど、もう20年も前からになるでしょうか、新盆にあたる家は戸々で葬儀屋に新盆用の祭壇を依頼するようになっていったのです。それがまぁ葬式まがいのギトギトした暑苦しい祭壇で、幾つかの提灯をセットにして切子燈籠もリースという代物なのですが、地域の伝統などとは全く無縁のものでしかないのです。そもそも真夏の行事というので、何よりも涼しげにありたいと、青竹に真っ白なさらしでの仕立てになった筈でしょうに。
96歳を超えた晩年の母は、それまで聞いたことがなかったほどすっかりこちらの方言に戻ってしまって、まるで田舎の老婆のようになっていましたし、何よりも新盆棚ならではの美感が歪められているのを我慢出来ない私でもあり、昔のままの新盆棚によって母の新盆を迎えたくて、記憶を駆使しながら一人で設えたのです。
伝統的な決まり事の新盆棚が当たり前だった当時は、独立した子どもの義務として必ず切子燈籠を供えたものでしたし、親類は様々な提灯を持ち寄って飾ったものですが、これ幸いとばかり葬儀の時に新盆棚の予約までさせる葬儀屋が、毎年使い古して黒ずんだ切子燈籠や提灯を臆面もなくセットにして高額なリースにしてしまったことで、今や切子燈籠を誂えようとしないどころかその存在まで知らないというほど、伝統習俗は加速を止めようもなく廃れてしまったのです。私の望んだことは、そうした流れ全てに逆行することなのでした。
母の新盆に下げられた切子燈籠は5対10個。寄せられた様々な提灯はといえば、1つは直径1m丈2mという巨大なのも含め30数個にもなり、岐阜提灯などの下げ提灯で10mの廊下が埋まってしまったのです。だいたい、切子燈籠だけで八畳間がいっぱいになるなど前代未聞のことなのですから、新盆見舞いに訪れた方々は揃って『こんな飾り、見たことがない!』と感嘆の声を上げて居られました。
その切子燈籠と提灯は『流れ盆』と称する来年のために、提灯の幾かだけを残して仏送りの晩に墓に運んで飾り、そのまま雨ざらしにされたのですが、昔は13日も15日も近所の人達が集まって酒盛りしたものだったので、15日の夜0時を回る頃に出掛けた仏送りでは、切子燈籠や提灯を墓に運んで飾るのに、人手は十分にあったのです。リース祭壇の普及によって、切子燈籠や提灯を墓に運ぶことが無くなってしまいましたから、いつの間にやらそうした集まりも必然的に廃止されていたのです。そうなると、さあ5対の切子燈籠と豪勢に集まってしまった提灯を家族だけで真夜中にどうやって運び、どうやって丈の長い切子燈籠を下げ得るかが問題になったのです。ともかく切子燈籠だけでも山の上の墓地に供えたいと、仲間4人の手を借りて何とか運び出し、木の枝と枝に竹竿を長く継ぎ足し渡して何とか切子燈籠を下げ終えた時は、もうみんな汗だくだったのでした。しかし、たった5つしか運べなかった提灯と全ての切子燈籠に蝋燭を灯した光景といったら、幽玄とはこういうことを言うのだろうと言葉を無くすほどだったのです。帰る道すがらに振り返れば、山の上の鬱蒼たる木々の合間から光が揺れるように漏れだして、あたかも手を振られるように見送られていたのです。
間が悪いことに、そうしてやっと飾った翌日の夜は、折しも接近していた台風の通過で暴風雨になったのです。台風一過の翌日墓地に出向いてみれば、それこそ残骸が散らばるばかりで見る影もありません。吹き飛ばされた切子燈籠の下げ紙など、泥にまみれてそこかしこの地面に貼りついているのです。手間からも、仕上がりからも甲斐無く儚(はかな)いものだったのかもしれませんが、しかし不思議なほど惜しい気持ちにならず、晴れ晴れとすらしたのです。それらは暴風に壊されたのではなく、一晩と半日ばかり新しく出来た墓を彩って、盆の帰郷から戻った母達と共に彼岸に渡ったからであるように感じられたのです。そしてまた、母がやっと永遠の眠りについたようにまで思えたのです。
スマホで撮った新盆の棚飾りの画像も、墓に下げられた切子燈籠の画像も、きっといつかは消え失せるでしょう。目の奥に残る光景だって、色水がどんどん水で薄められて色を失って行くように、やがては記憶に埋没してしまうのでしょう。永遠なんて有り得ないのです。全ては墓石に草書で刻んだ一字の『在』だけのこと。『ある時に在った』というだけに過ぎないのです。
そんなことを思いながら、淡々と崩れた切子燈籠を山の茂みに片付けてしまい、渡されたままの青竹の下を過ぎて墓を下りたのです。

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