前回書いた『近頃のこと』で、今まで作った有職造花や木彫り彩色を挙げたのを読んでくれた友人のコレクターが、藪柑子(ヤブコウジ)と三つ葉葵が抜けていると書いて来てくれたのです。
木彫り彩色にも肝心の雀が抜けているし、季節毎に書き出したものを五十音に並べ替えているうちに、どうやら抜け落ちてしまったのでしょうけれど、それはともかく、そこで石楠花は作らないのかとも言われたのです。
私にとって石楠花といったら、訪れたことはないものの、様々な画像で目にしていた室生寺の光景の印象ばかりが強いのに気付かされてしまいます。
しかしながら、記憶というのは本当に自分本位なもので、いつの間にか私にとって室生寺の石楠花といったら、紅でもピンクでもなくサーモンピンクを暈かしたような色合いに定着してしまっていたのですが、それは台風で被害を受けたあの塔の手前に咲く石楠花画像ばかりだったからこそでしょうけれど、積年が成した塔の古色に映える花色として、そんな選択を脳が勝手に作り上げていたらしいのです。
ともかく2ヶ月ぶりの平薬制作として、石楠花を作ることになったのですが、そんな勝手な印象を平薬に載せてしまうことにしたものですから、葉色も実際とは異なる、花の色に調和させたものになっているのです。
石楠花の花弁の鏝当てに戸惑ってしまって、どうしたらよいものか数日あれこれ考えたのですが、クシャクシャとした様子を叶えるのに、二筋鏝を花弁の先端手前に深く押すことで、花弁上部にも襞が出来上がるようにしました。もちろん葉裏には黄ばんだ和紙を貼り、表裏の葉色の対比を際立たせました。
私はこのところずっと、有職造花の平薬に花以外の小動物やらを添えて来たのですが、それを嫌う方もいたのです。添え物が当たり前になってしまうと、花だけの平薬が寂しく感じられてならないと言われる方もいるし、私もいつの間にかそんな感覚になってしまっていたのですが、そもそも好みなど千差万別というものでしょうけれど、有職造花の中に自然界の息吹のようなものを加えて欲しくないという感性や価値観というものもなるほどと思えて、原点に返って考える必要性に気付かされたのです。
もう殆ど完成した石楠花の平薬なのですが、そのまま何も添えずに完成とするか、何らかの小動物を加えることになるのか、私にも分からないのです。