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■ 近頃のこと

2017/03/07

犬筥を作る

もう15年にもなるでしょうか、犬筥の絵付けをしてみないかと胡粉塗りまで終えた生地を二組送られてあったのです。
実はそれより以前、横浜人形の家の絵はがきにあった犬筥をモデルにして、張り子の木型から作った事があったのですが、それは犬筥というより猫筥と言った方が良いような丸く扁平な顔のもので、いわば玩具の飾り物といった類いだったのです。
当時は、江戸期の犬筥のように犬らしく鼻の尖った顔の形と、それに合った細目の妙な面相に馴染めず、何よりも絵を描くのが嫌いで、よくよく苦手だったというのが一番の理由から、提案に応じることもなく放ってあったのでした。
このところ、雛人形の小道具である檜扇の制作が続いて、二度ほど蓬莱山や鶴を描いたのですが、思いがけない程喜んで頂いたのが嬉しく、絵を描くのがそれほど嫌でもなくなって思えたのです。恐ろしいほど単純で分かりやすいのですが、小御所の襖に描かれている鶴を模写したりしているうち、もう少し鶴の飛ぶ蓬莱山を描いてみたいと思うなり、そういえば犬筥の背中はそんな図柄だったと思い出し、今なら描けるのではないかと、仕舞ってあった犬筥を引っ張り出して、直ぐに絵付けを始めたというわけです。
モデルは、中村信喬工房の土製犬筥の写真にしました。胡粉塗りした生地に鉛筆で図柄を写し、その上から薄い胡粉を重ね塗りした後に岩絵の具で彩色したのですが、量産の手順故でしょうけれど、あまりにも図案化されている蓬莱山の松はもう少し写実を心掛け、岩絵の具の特性を生かした日本画のようにするとか、どうしたわけか犬筥の胴体に必ず描かれる小菊も、花鳥画風な花弁の縁取りや配置を試してみたりと、多少のアレンジを加えたのです。
胴体は本来金箔押しなのですが、私の技術では首輪の結び目や丸まった尻尾の内側とかなど、とても箔押しなど出来そうもないので、金泥での彩色にしました。そのせいもあって、全体に金箔で包むようにはせず、酒井抱一が上己の節句を描いた軸にある犬筥のように、胡粉塗りの白を強調するような金彩の割合にしたのです。さすがに酒井抱一。胡粉の白を際立たせる彩色での犬筥は、より上品さを醸し出したように思います。
さて一つの彩色を終えると、赤金泥が殆んど無くなってしまいました。何とか早く一対を完成させて並べてみたかったものですから、もう一つは沢山残っていた青金泥を使うことにしました。思いもかけなかったのですが、金の色の違いはあたかも性別まで変えるような印象になりました。向かって右、赤金泥のは男の子。青金泥による左のは女の子という設定にすることにして、一番最後に描いた面相では、唇をキッと結ばせたのと、穏やかに結んだのとにしたり、目の間隔も変えてあるのです。いうまでもなく、面相はオリジナルです。
檜扇の制作から始まった絵付けでしたが、この気分が維持されたなら、これも下描きしたまま十数年放置してある12ヶ月屏風を完成させる日も来そうじゃないかと、自分のすることだろうに、何となくワクワクしているのです。
そんなわけで今回の教訓といったらやはり、『豚もおだてりゃ木に登る』というわけなのです。

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