『婚礼の有職造花』に載せている嶋台は、丸平さんが昭和八年頃に納めた結納用品の一つとして、当時の雲上流によって制作された極めて完成度の高い嶋台とそれを復元したものです。
復元といったところで、モノクロの写真からのことですし、例えばヤブコウジが何本植えられているのかすら、正確に把握出来るわけでもありません。それ以前に、そもそも当時の雲上流の類い希な技術と専門性というものに追いつける筈も無く、また嶋台のような細かな枝振りが織りなす有職造花の復元そのものが、自然の草木をそっくり写せというほど不可能に近いわけですから、こんな感じなんだろうといった程度の復元がせいぜいだったのです。
当時の雲上流の秀でた技術と造花制作への真摯な姿勢といったら、実は嶋台などの婚礼用具としての有職造花に欠かせない梅の花にこそ顕著であるように思われます。鏝の当て方は違うのですが桜の場合もそうで、現在のように花びらの連なった一つの花を型抜きするのではなく、花びらの一枚ずつを型抜きしたものに一枚ずつ鏝当てを施し、それを紙で作った萼(ガク)に一枚ずつ貼り付けて作っているのです。その手法は、人形が手に持つほんの小さな桜の小枝の、花びらの幅が5㎜にも満たないような小道具に至るまでのことでしたけれど、手間を惜しまない豊富な女手によってでも、せっせと作られていたのでしょう。
梅にこそ顕著だというのは、梅には粗く織られた絹を和紙の裏打ちをせずに用い、その織り目を必ず横目にして型抜きしているのです。そのため、鏝当てによって経糸から横糸がズレるのを利用して、内側を包み込むようにふっくらとした梅の花弁を作り出すという程のこだわりが見られるからなのです。花形の金型で型抜きした場合、花びらの位置によって織り目は縦にも斜めにもなってしまいますから、横目に合わせて鏝当てされたようには仕上がらないのです。実際の梅の花は必ずしもそんな風ではないのですが、それが有職造花ならではの梅の造形様式というもので、だからこそ嶋台などの様式的な飾り物にこそ、有職造花でなければ見出せない美感と端正さ、そして相応しさを誇れたのでしょう。
さて、丸平雛展や福岡市美術館などの展示にも使われてきたこの復元嶋台なのですが、そもそも丸平さんに残されていた写真に感嘆して、せめて当時の雲上流嶋台のアウトラインだけでも再現してみたいという意図での制作だったため、本来の嶋台には欠かせない鶴亀などは作らないままでいたのです。しかし、これからも嶋台として残し続けて行くとなると、高砂の2体はともかくとしても、縁起物である鶴亀の置物ばかりは、やはり必要不可欠というものでしょう。
鶴は何度も作っていて別に特別なことなど無いのですが、龍の頭をした亀の制作にはとてもそそられてしまいます。ただ、この鶴も亀もあくまで添え物のことですし、単品でそれほど凝ってはいけないように思いますから、鶴の羽根やら厚紙で大まかにしか作っていないのですが、龍の頭の亀というのも相応しくはなかったようです。いずれ作り直さなければなりません。
モノクロでの対比の方が面白いかと、私の復元もモノクロにしてみたのですが、それだけで時代物に見えてしまうのには感心してしまいました。