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■ 近頃のこと

2017/06/29

老女扇を描き直す

お能を観たことも無く、もちろん知識も無いので、『姨捨』の制作依頼の際に用意した鬘帯とか扇といった小道具にしても、図書館やインターネットで探せた画像を形にしたものに過ぎなかったのです。とりわけ扇は、自分で絵付けをしなければならなかったにもかかわらず、老女がどんな扇を持つのかさえ知りませんでした。
色々調べるうち、昭和八年に発行された『能楽具装精華』という書物の中に老女扇というのをやっと見つけ出せたものですから、出来る限りその図版通りの万全を期そうと、先ず人形用の扇のサイズに図版を縮小コピーして扇に貼り付け、その上から彩色を施したのです。何の知識も無いのに『自分なり』の解釈で描くなど許されざる事との考えが私の基本ですし、お能を熟知した丸平さんに渡すには、せめて図版通りでなくてはと考えたからなのです。
しかしながら、橋に流水、柳に白鷺という図にしろ流派の一例に過ぎないのでしょうし、そもそも何らかの老女扇を忠実に写したなどという程の図ではないのですから、柳など本来どれだけの枝や葉がどのように描かれていたのかなど見て取れるはずもなく、鷺も首筋どころか翼の形すらままならないのです。
知識の裏付けや経験の無さというのは嘆かわしいもので、その程度の図だと知りながら、これを写したからどうだなどと見限ることが出来ません。最初に描いた老女扇は、その程度の物だったのです。
さて、丸平さんによる優れた人形が出来て眺めていると、直ぐに老女が手にしている扇を見ていられなくなってしまいました。所詮全ての面で中途半端にしか描けていないのですから当たり前なのですが、とにかく描き直さずにはいられなくなったのです。
しかし、位置だけは元図のままにしたかったものですから、描き直し出来るまで塗りつぶせるところは塗り潰してしまってから、今度は実物の扇ならこうだったろうという推測を加えさせて貰い、更に少しでも扇の絵として見られるところまでは描き上げようと、鷺は実物の写真によって飛ぶ姿を確認して描き直したり、柳は近代日本画の名作による葉の描き方を参考にしたりして、根本的なやり直しを敢行したのです。
岩絵の具の塗り重ねによって色に重厚さが加わり、渋く落ち着いて仕上がったのは良いのですが、濃紺に塗られた川面に描かれているらしい水紋が上手く描けません。描けないというよりも、そもそも水の形そのものが曖昧なのですから、琳派のような水紋を描くにも無理があるのです。その上何よりも、鷺の頭が1㎜、首筋は長くても2㎜という小ささで、鷺ならではの首の曲線を躊躇無く伸び伸び描こうとしても目が利かないという情けなさも加わって、水紋も思うようには描けなかったのです。
そんなこんな、何やかや躓きっぱなしの老女扇制作でしたが、最初のと較べたなら少しはましになったかと思えなくもないようですから、姨にはこれで我慢して貰っているのです。

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