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■ 近頃のこと

2017/07/30

職人仕事と『姨捨』後日談

梅雨が明けたかと思えば、早くも台風なのだとか。そのせいでしょうけれど、梅雨に逆戻りしたような湿気にほとほと閉口しています。
このところ半月以上、料亭で使われる紅梅白梅の有職造花に掛かりきりだったのです。単純な作業を延々とこなして行く職人仕事と言うべき範疇の制作だったのですが、一組に白梅8に紅梅7と蕾5つを殆ど左右対称に組み立てる決まり物の有職造花ですから、造形的な苦労こそ無いとはいうものの、面白味のある制作ではありませんから、50組というのは全て一人の手作業でする私にとって、些か大変な数でした。
ちょうど1000の小枝を先ずパーツとして作り、それを組み合わせて仕立てるのですが、絹の染めや和紙の裏打ちからの工程を細かく数えてみると、全部で3800工程にも及ぶのです。糊付けのためにパーツを強く押さえつけたり、絹糸を巻く針金をクルクルと回し続ける左手親指の指先から指紋がすり切れてしまうのも、当たり前と言えば当たり前。極く自然なことなのでしょう。
普段の私の有職造花制作は、必ずしも職人仕事とは言えないものの方が多いものですから、ひたすら数をこなさなければならないような仕事の機会を積極的に持つべきだと考えているのです。単調な作業であろうと、惰性に流れない工夫を根気よく続けて行けるための訓練を積むことは、やはり必要不可欠だと思うからなのです。

先日出来上がった『姨捨』ですが、眺めたい時に眺めたい思いから、湿気の強い実家にまだ置いたままでいます。そのため、梅雨の間は出来るだけ箱を開けないようにしていたのですが、先日久しぶりに箱から出して顔を覆った紙を取り除くなり、私は絶句してしまいました。鼻の下や顎の輪郭に、うっすらと白い産毛のような毛が生えていたからなのです。
最晩年の母や伯母がそうだったのです。『姨捨』の姨に、命が宿るというより乗り移ったように思えて、愕然としてしたのでした。
私が小学校にも上がらない頃の若い母は、改まった外出の時に顔に剃刀を当てる事があったのです。昔の女性には珍しくも無い身だしなみの一つだったのでしょうけれど、女が顔を剃るというのが幼い私にはとても奇異に感じて、強い印象を受けていました。
父の姉である伯母は和裁の達人で、着物の仕立てというのは体にストンと嵌まるようでなかったら仕立てとは言えず、それは体型を一目見れば加減出来ることだと話していたくらいでしたから、ものつくりとしての共感が認識外にあったのかどうか、私は親しくさせてもらっていたのです。伯母はリウマチで13年も臥した末に亡くなったのですが、その最晩年でさえ鼻の下だったでしょうか、一本だけ細い髭のような毛が伸びていたのを目にして、生命力の残酷さというようなものをつくづく思わされたことがあったのです。
『姨捨』の頭は決して母や伯母を偲んで作った物ではありませんし、モデルにしたのでも無いのです。しかし、どうしても思いが重なってしまうのは否めずにいるものですから、姨の顔に生えた白いものが何なのかを認める前に、即座にそれらを思い出して言葉を失ってしまったというわけなのです。
産毛の正体は勿論カビなのです。ですから感傷に浸っている訳にもいかず、画像に残すことも無く即座に拭き取ったのですが、あたかも幻が消え去るかのようにほんの一拭いで頼りなく消え失せたのにも拘わらず、目の奥にその瞬間が生々しく残り続けて消えないのです。

沢山の梅の枝を納品して重すぎた肩の荷を下ろせた心境です。疲れの残った右手の重さが鈍く気怠いのですが、それも数日で消えることでしょう 。

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