一辺が7cmの三宝に盛るミニチュアの肴台のうち『富貴の台』と『控え台』の制作依頼があったのです。
『婚礼の有職造花』で、肴台の種類や形態、役割を紹介しているのですが、今やこんな婚礼用具を知る方など殆ど居ないでしょう。そもそも、結納や婚礼での使い捨て道具だったのですから、原寸大の物も、私が作って国立歴史民俗博物館に納めた物以外にはないのではないかと思います。
『富貴の台』は、嫁の前に据える肴台なのですが、フキという語呂合わせなのでしょうけれど、蕗や石蕗(つわぶき)を有職造花で作って三宝に盛るのです。
『控え台』は、待ち女臈という、嫁を迎え入れる役目である女性の前に据える肴台です。里芋の葉を盛ったりしたのは、子宝の象徴では無いかと考えているのですが、水生植物の澤潟(おもだか)や河骨(こうほね)も用いられたようです。澤潟には茎に円い球が幾つも付くそうですから、それが子孫繁栄の祈念に繋がったのではないでしょうか。
肴台は本来三種類で、婿の前に据える『押さえ台』がもう一つです。これには稲穂の実物が盛られ、その前に鶺鴒(せきれい)を置いたりするのですが、鶺鴒は古事記の伊弉冉・伊弉諾の逸話を題材にされてのことかもしれません。今回『押さえ台』を省かざるを得なかったのは、実物の稲穂では粒が大き過ぎてしまうからなのです。
さてその『富貴の台』なのですが、恐らく私ならでこその発見ではないかと思いながら、何故そんなところに『富貴の台』が使われたのか、20年も分からないままでいるのです。
それは、夏目漱石の『坑夫』と『野分』を合わせて『草合』と題された初版本の装幀なのです。もちろん橋口五葉の手になる装幀なのですが、先ず黒漆で描かれているのは蕗の葉。それに蝶と鳥、青海波という図案なのです。
蝶と鳥は公家(皇室)の婚礼や儀式に十二単で正装される時に手にされる檜扇(ひおうぎ)の留め金を示すでしょう。表が蝶、裏が鳥だからです。青海波はもちろん祝い事の文様ですから、蕗の葉が意味するのは『富貴の台』以外に無いというわけなのです。
しかしながら、夏目漱石の『坑夫』も『野分』 も、漱石の作品の中で異質なほど社会問題や社会思想色に重苦しいものなのです。華やかさなど場違いな内容にもかかわらず何故装幀が婚礼をにおわせるようなものなのでしょう。いったい、橋口の意図はどこにあったのだろうと考え続けているのです。
十代の私は、漱石に心酔していました。又、明治という時代に憧憬してもいました。『秋の夜は 書物を読みて過ごすべし 洋燈(ランプ)の下に肺を病むべし』だなどと歌ったりしたのです。『野分』にある演説には、身体を熱くさえして感激したのです。あれから半世紀近く過ぎた今読み返したならば、何かに気付けるのでしょうか。
『草合』の初版本を目の前にしながら、読み返そうか止めようか、数日戸惑ったままでいるのです。