今年の八月ときたら、割合あっさり過ぎて安堵していた梅雨が、真夏の時期になるなり、温存した力を加えてぶり返したが如くの雨続きだったのです。
毎日毎日カビを培養しているかのような中途半端な暑さで、忌々しい湿度を来る日も来る日も押しつけたかと思えば、まるで春先のような肌寒さになったり。とうとう九月初旬まで、まともに太陽を拝ませない悪天候でした。私のようにカビを大敵とし続けるコレクターにとっては、あたかも延々と嫌がらせを続けられたような最悪の夏だったのです。漸くの好天で一日中陽の光が得られた頃には、もう秋の光に変わっていたのですから、今年は本格的な夏もないまま、一気に秋に入ってしまったも同じなのでした。
そもそも私は、秋という季節が苦手なのです。確かに、月の光が降り積もるような夜、庭一面の虫の音に包まれる抒情的な心地良さといったら、私にだって掛け替えのないものに違いないのです。しかし、それも神無月の声を聞く頃には儚くもすっかり消え失せてしまいますし、草木は徐々に茶褐色を加えるばかり。言うなれば、衰退の一途を目の当たりにするようなものですから、それが侘しくてやり切れのないのです。そんな時期に、ちょっと辛い思い出があるのも一因なのでしょうから、あくまでも個人的な要因が強いのかもしれませんが、月遅れの盆を迎えた頃の朝の光に、秋の筋が混ざったのを見つけるなり、ふと気持ちを沈ませてしまうのです。
四季の景物を平薬に作り続けている私ですが、そもそも秋が苦手なのですから当たり前なのでしょうけれど、秋になると作ってみたいものがなくなってしまうのです。ところが今年は、深秋ならではの光景が次々に浮かんで来るのです。この上なくうんざりした夏のおかげで秋が引き立てられたというのか、秋の平薬ばかり思い付くのです。
『月にウマオイ』『沢蟹』『銀波の宿』と、鷺や月のシリーズとでも呼べるようなものが連続して出来て、幸いそれらはとても愛着のある出来映えになったのですが、一向に手の疼きが止まりません。頼みの綱の『日本鳥類写生大図鑑』をはぐるうち、目を留めたのは晩秋に赤い実を付けるサルトリイバラという山野の植物でした。
小学校に通う道の山際で、毎年目にしていたにもかかわらず、何十年も取り立てて思い返すこともなく来たのでしたが、その絵を目にするなり、丸い葉と弓形(ゆみなり)の葉脈が突然目に甦って、何だか胸が締め付けられるほどの望郷感のようなものに迫られたのです。平薬に仕立てたいと思いました。
作り置きしてあったススキを骨組みのように籐の輪に配置してから、その手前にサルトリイバラを構成したのですが、それだけですっかり気持ちが満たされてしまいました。もう満月とかで、これ以上の秋色を加えるのは屋上屋だと止めたのです。
私にとって異変の秋は、まだまだこれからです。まだ手が疼いたままなのですから、何とかもう少し秋の平薬制作を満喫したい思いばかりでいるのです。