猿というのは、好きな者と嫌いな者が二分されるようですが、面白いのはその理由が同じだということでしょう。片や仕草や行動が人間と同じようだから笑える。片や、人間と同じようだから笑えない。そこに人間の滑稽さ愚かさが見て取れるからとの、同じ理由です。
私は後者なので、猿を木彫り彩色するなど考えもしなかったのですが、お気に入りの図鑑にあった台湾猿のポースが妙に気に入って彫り始めてしまったのです。もちろん平薬にしたいと思いますから、ポーズだけ写した日本猿に仕立てたのです。
写真から制作する猿は殊更難しかったのですが、一日で彫り上げ、胡粉塗りまで終えたものの、どうも気に入らないまま翌日に見れば、酷くデッサンが狂っています。そもそも頭が大き過ぎ、目の位置も違う。部分的な写真やらでは、とかく全体を掴み損ねるのです。
直ぐに頭を大胆に削り、顔も上半分を切り取って木っ端を貼り付けてから彫り直しました。木彫りの事ですから、まさに大鉈を振るうというもので、修正はとても勿体なく見えるようですが、気になるところは思い切って正さなければ、所詮失敗するだけなのです。
さて彩色も上手く進んだものの、平薬にするプランがまるで出ません。猿に桃。猿に柿。猿に柚子。どれもしっくり来ず、初めて作る新鮮味にも欠けています。
仕方なく、今まで作った平薬の画像をはぐってみれば、山桜に目が留まりました。何度も作っていながら、葉色に決定打がありません。よりリアルな葉を工夫し、太い幹に猿を座らせたなら面白いだろう。ならば猿のことだし花より団子。串に刺した三色団子でも持たせたらどうかとか、瞬時に閃きが駆け巡ったのです。
これで決まりだと、清々して眠りについた明け方のこと、パリから帰ったばかりで時差ぼけだという若い友人から入ったメールの音で目が覚めました。彼は説話学の専門なのですが、初めて出版された著作『南方熊楠と説話学』が前日に郵送されていたので、贈呈への礼をメールしてあった返信だったのです。
布団の中から取り急ぎ簡単な賛辞を送ってふと『説話?』と思うなり頭に御幣が浮かんだのです。ヒラヒラとした、神様のあれです。猿が山桜の木の上に御幣を握り締めているだなんて、何かの説話にきっとありそうではありませんか。これは天晴れな発想だと自讚しながら、団子は却下してしまいました。
それはそうと、この猿はいったいどこから御幣を持って来たのでしょう。作ったのは私なのですから他人事のような物言いなのですが、そんなことより山桜の葉のために染料をどう混ぜたらよいか、悩みの種はもう変わっているのです。